2017年12月10日日曜日

ソウルナンバーに関する一考察

 あまりこだわらないようにしているが、やはり自分にとって都合のいいものは信じておきたいというのが占いである。星占いだの姓名判断だのさまざまあるが、そういうもので自分に関するものを、思い出したようにネットで調べてみることがある。

 そういえば、ソウルナンバーというのがあったな。と思って調べてみた。以前にも調べたことがあるが、自分のナンバーも覚えていない。

 ソウルナンバーというのは生年月日を分解して合計するという作業を一けたになるまで行ってできる数字のことである。例えば1970年9月27日(羽生善治永世7冠の誕生日)なら 1+9+7+0+9+2+7=35 ⇒3+5=8となる。
 私の場合は1+9+9+2+9+2+1=33で、6かと思いきや、11、22、33のぞろ目はマスターナンバーという特別な数字で、その時点で計算を終わりにして、ソウルナンバーとされるらしい。

 ほう、いいじゃない。 そんないい番号だという意識はなかった。ソウルナンバー33の特徴について読んでみる。


・全てにおいてスケールが大きい愛の人
・このタイプの人は自分自身のことには無頓着で、規格外に器が大きいと言われます。自分本位で物事を考えることがなく、世界や人類、宇宙といった非常に大きなスケールで物事を考えます。
・「他の人とは違う」と感じさせるカリスマ性もあります。
・潜在的に特殊な感覚を持ち合わせ、普通の人とは違う次元で物を見、捉えることができています。


 ま、まぁ、当たっちゃってるかな~!ばれちゃしょうがないな~。やっぱりそうだったのか~!

 こういうときは自分の周りの友人などで、誕生日を知っている人を思い浮かべてソウルナンバーを計算してみる。11。1。33。33。11。33。8。33。

ん?33多くないか?特別な番号なはずでは…。これはあやしい。こうも乱発されては、カリスマの価値が下がる。スーパーサイヤ人ではないのだ。
 
 よくよく考えてみれば、 同世代だと誕生年の合計が21か22と決まっているので、ある程度似通った番号になってしまうのではないだろうか?
そこで最近Excelの技を覚えつつある研究者の半熟卵である私はパソコンを立ち上げ、猛烈な計算を実行した!



計算完了!



 上に示すグラフは、1992年4月から1994年3月までのソウルナンバーの割合である。
33は。全体に占める割合は10%と確かにちょっと少ないほう。まわりに33がやけに多かったのは偶然だったようだ。だがそんなに希少価値は高くない!33にシェアを奪われた6のほうが少ないし、2と22に至ってはゼロである。ゼロ!そっちのほうがよっぽどではないか。
 ソウルナンバーが2になるためには数の合計が20のときのパターンしかないが、1992の時点でもう超えている。22についてもしかりである。

 とすると、この分布は年代によって変わってきそうだ。

 ここで1950年代生まれから、まだまだはるか先の2040年代生まれまでについて、ソウルナンバーの出現数を調べ上げた。ちなみにうるう年は省略。以下の表を見ていただきたい。



これは。非常に面白い結果が出た。なんとわがソウルナンバー、いや、マスターナンバー33は1990年代に出現のピークを迎え、その後2000年代と2010年代はまったく現れず、次に現れるのは2020年代も終盤の、2029年9月29日まで待たなくてはならない。
 一方、90年代では発生不可能だった「2」は生まれ年の数字の合計が小さくなる2000年以降には登場するようになって、まさに33と2の出現頻度が2000年を境に入れ替わっているようにも見える。
 そして1950年から2040年間の100年間の合計では、33が3.4%と出現頻度の最も少ない数字となっている。そして年を追うごとに、33の占める割合はさらに減っていくこととなる。これならばマスターナンバーを名乗ってもよいだろう。

 私たちは、これから減りゆくマスターナンバー33の称号を背負って、世界に無償の愛を配っていかなければなりませんね。

 意外とこういった試みはなかなか行われることはないと思うが、いかがだったろうか。

2017年12月5日火曜日

生活のゲーミフィケーション

 最近の習慣に関する試みを紹介したい。

 とにかく習慣づけに関してわが人生は失敗ばかりを続けてきた。当ブログにおいても宣言しておきながら続いていないものがいくつもある。このブログを書き続けることに関してだけは、親愛なる読者諸賢の催促によってどうにか続いているところである。

 しかし習慣というものは侮りがたく、ものによっては人生を好転させもすれば破滅させるようなものであるというのは、あながち言い過ぎではないだろう。習慣を制する者は人生を制す、と思いついたので仰々しくも言ってみた。
 
 ちゃんと読んでいないので内容は知らないが、「7つの習慣」という自己啓発書の大ベストセラーもある。この本に限らないが、実行し、継続するのが一番難しく、読み終わったときにはやる気にあふれてもその気持ちを維持するのがとにかくとにかく難しい。

 そこで見つけたのが「自分ルール」というアプリである。これを知ったのは以下のツイートについていたリプライがきっかけだった。

 アプリの内容としては上記のツイートほぼそのままだ。これはいわゆる外発的動機付けをうまく取り入れた生活のゲーム化といえるものである。自分の場合は、生活行為「帰宅即コンタクトを外す」「日付変わる前に入浴」などに加え、読書、軽い筋トレなどを入れてみた。ご褒美のほうは「ツイッターを10分みる」とか「本を一冊買う」とか「自分磨き(隠語)をする」とかを比較的低めの点数に設定し、高い点数に高い買い物(1ポイント1円程度)を設定した。

 やってみるとこれがなかなか良い。まず、習慣づけの失敗の2大原因として「やるのを忘れる」「数日やらなかったことで気持ちが萎え終わる」というのがあるがこのアプリの場合この2点については解消される。前者は時間の空いた、することのないときにポイントの貯まるリストを見ることで思い出せる(しかもいくつも!同時に複数個の習慣づけをすることの難しさはみなさんも知っているだろう)。後者に関しては、このアプリの場合は「毎日欠かさない」ということが必ずしも重要ではないのでその点で萎えないし、さらに自分にとってハードルの高い習慣に関しては得られるポイントを高くすることでやりやすくなる。
 ご褒美のほうも重要だ。私はツイッターを見るのが好きだが、少々時間を費やしすぎてしまってしばしば後悔する。何度か禁ツイなんかも試みたときは、極端に「全く見ない」ことならできるのだが、「少しだけ見る」ということがどうしてもできなかった。しかしご褒美としてツイッターを設定すると際限なく時間を費やすことがないし、たっぷり見たいときはその分のポイントさえ使えば罪悪感を感じる必要もない。
 同じ10分を使うなら本を読んでポイントをためたほうがいいかな、と思うことも多く、時間の使い方が自分の理想に近づいている感じがある。まだ1週間程度しかやっていないので続くかわからないが、ちょっとおもしろいのでやってみてはいかが。

 ちなみにブログを1回投稿するのもちゃんと入れてある。これで150点が加算されます。

2017年11月24日金曜日

11月の雑記

 最近あったこと、思ったことを書く。

・スターウォーズの公開が近づいている。最近までは予告編をはじめ、出てくる情報はすべて得たいと思っていたが、初見のインパクトを考えると情報は入れない方が楽しいと思うので次からは情報をシャットアウトして臨もうと思う。

・荒れる相撲界。いろいろあるけど、ワイドショーはよくやるわね。そろそろ別のニュースが出てくる頃か。今九州場所がやってるが、自分でも驚くくらい相撲を見ていない。役者不足な感がある。それこそ貴ノ岩じゃないけど「もうあなた方の時代じゃない」と土俵の上で言える力士が出てこないと…

・海釣りにいった。船上で吸うたばこは旨そうだった。いずれは船を持つぞ。ところで私が入社する会社はなんと船をつくることもあるらしい。船大工はあこがれる。

・謎ときにはまっている。先週末に「謎検」を受けた結果、100点中86点で2級だった。ロザンの宇治原も同じくらいと聞いたのでまずまずの成績である。例えば下のような問題が出る。

せ こ で
き り ず  ⇒ 昨日
て も も

う の ち
と び す  ⇒ ?
ど あ す

?に当てはまるものは。
 これくらいだとそんなに難しくないので考えてみてほしい。これは「今夜はナゾトレ」というテレビ番組で出題されたものだが、全体的にちょうどいい難易度で作られていて楽しい。難しすぎてもつまらない、簡単すぎてもつまらないのだが謎検を主催する団体のSCRAPが作成する問題はどれもクオリティが高い。
 研究室で謎をやって、じゃあ次はMENSAか、という話になった。おそらくMENSAも対策を少しやれば受かるんじゃないかと思う。対策とかやっていいものなのかよくわからないけど。岡部も受かってるぐらいだし何とかなるだろう。だが取ってどうなる、というところもある。なんか恥ずかしい。MENSAに何ができるのか。たぶん俺が憧れるような頭のいい人たちは、MENSAに入る力があっても馬鹿にして入らないだろう。ただ実際受かるのかどうかは試してみたいものである。こっそりやるかもしれない

2017年11月2日木曜日

夢一夜

 いつものようにバイトを終えて帰ろうとすると、社員さんに呼び止められた。
「市島君、ちょっとシフトのことで相談なんだけど…4月の6日って入ってもらえる?」

 4月?
 
 カレンダーを見る。2018年4月のカレンダーである。パソコン。2018/04/01。
 何かおかしい。スマホを見ると、いくつかの着信とメールが届いていた。内定先からだ。
「どうしましたか?みんな待っています」

 もう4月になったのに間違えてバイト先に来てしまったのか?11月だと思っていたのに…。こんなことがあるのか?この5カ月間の記憶はない。

「すみません、ちょっと頭がくらくらして…失礼します」

トイレに駆け込んで鏡を見ると、めちゃめちゃ髪が伸びた自分がいた。俺の髪って、伸ばしたら案外くせ毛なんだな…。
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 友人に尋ねる。
「今ってまじで4月なの?11月からの記憶がない。」
「いや、ずっとお前ふつうにしてたよ。」
 周りから見ると普通に暮らしてきたようだ。髪を切ることだけは断固拒否していたらしい。しかし実感としては突然タイムスリップしたような感じだ。もしここが4月だとするとぜひ聞いておきたいことがある。
「あ…そういえば俺って卒業できたのかな?!」
「さぁ、できてないとは聞いてないけど…」
 はっきりしろよ!使えない未来人め。だいたいお前は誰なんだ。

「じゃあ11月以降で急にブレイクした芸人とかいる?」
「あぁ~。う~ん。にゃんこスターとか?」
「それはもうちょっと前からだわ。他には?」
「あと…ジーナルドフィールドとか。」
「おぉ、聞いたことない!その名前は覚えておこう!ジーナルドフィールドね。」
「あと有名人で死んだ人いる?」
「キネンキナ先生…」
「え?知念里奈?」
「いや、キネンキナ先生だよ。お茶の家元の…」
「誰なんだよ!」

 誰なんだよ!

 ………

 ………

 終わりでーす。(三四郎風に)
 起きてすぐメモったが、ジーナルドフィールドは検索しても出てこなかった。どこから生まれた単語なんだ。

2017年10月18日水曜日

10-18

 10日ぐらい前にtumblrをはじめてみて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、今度は急に飽きてしまった。ありそうなことだ。

 最近麻雀に初めて触れた。研究室の人とよくわからないままに少しやって、そのあとアプリをダウンロードした。そしたら夜から朝まで9時間ほどやってしまって、一人徹マンといった様相を呈することになった。やっているうちに、わからないなりに勝てたりするようになった。ゲームならではのヒント機能に頼りまくりではあるが。かねてから興味のある将棋のほうではコンピュータにさえ一回も勝ったことがないので、この時点で私の麻雀力は棋力を上回ってしまった計算になる。
 
 それがおとといの晩で、そのあとは昼まで寝て過ごしたが、そうしたら昨日の晩も寝れなくなり、今度はもういっそ起きていようと決めて、今日は眠い中過ごしたが、特に用事もなかったので、さっきまでうっかり寝てしまった。こういう昼夜逆転みたいなことには抵抗がある。規則正しく過ごしたい。明日は初めてのオートマチックトランスミッション車の教習があるので、今日はちゃんと寝なくてはいけない。

2017年10月6日金曜日

10月6日の投稿

 イレギュラーな投稿をしてしまったがために、結局1週間ほど遅れてしまった。意外と2週間に一回というリズムが体に浸み込んでいるかもしれない。いずれは1週間に1回のペースにしたいと思っているのだが。

 今住んでいる家から駅までのルートは2通りある。大通りを通るルートと、住宅街の間を縫っていくルートだ。この家に住んでから半年くらいずっと同じ大通りルートを通っていたが、住宅街ルートを見つけてからはどちらかというと後者をよく使うようになった。厳密にいえばこの住宅街ルートは昔、家族で今の祖父母の家に行くときに、(普段は車で来るところを)たまに電車でくるときに使っていたのだが、大通りと比べて目印がはっきりしないため、方向音痴な私は一人で来るときは簡単な大通りばかりを歩いていたのだった。

 取り立てて語るようなこともない道だが、この前いつものように歩くときに、まわりの景色に注意を凝らしながら歩いてみると、意外と見ているつもりで見ていないということに気が付いた。
 僕の通る道はとにかく電柱が多い。しかし電柱ひとつとっても、それぞれに違うものである。上の方になんか機械がついているもの、電灯を兼ねているもの、上が細くなっているもの、登るための足場がついているもの、いないもの、少し曲がっているもの、車ガードのような鉄板が巻かれているもの、などなど。学部1年か2年ぐらいのときに学科の課題で電柱を描いてくる学生がいたが、今になってなるほど確かに電柱道奥深しと思うわけである。
 毎日歩いている道でも意識しないと見逃していることばかりである。見ようとしないと見えないというのは当たり前のようであるが、実際には見たつもりになっているということが多いのではないか。絵の上手い人や、フィクションを書ける人というのは、同じ世界の中にいても見ているものが違うのだろう。しかし昨今じゃどこにいてもスマホばかりでまわりをじっくり見ている人などいない。上を向いて歩いて、突き抜けましょう。 

2017年9月25日月曜日

うまいものが食いたい!

 
 数日前から体調を崩しまして、なにかってえと食あたりであります。日本に居ながらにしてこんなことあんのかよ、Damn it!と何度ぼやいたかわからないが、原因ははっきりしている。生肉だ。

 体調の異変は時間差で来るので、原因が特定できないことが多く、今回に関しても疑いでしかなかった。だがその生肉を食べた居酒屋で同席した人が腹痛になったと聞いたので、これはもう間違いがないということである。

 過去の経験からして、この手の異変は医者から処方された薬を飲めばわりとすぐに治る。ところがどっこい、こういうときは医者に行く気力が湧かないんですねえ。悲しいことに。

 そんなわけなので自力で直そうとレッツトライ絶食アゲイン。

 この2年くらいで何度かやっているが正直上手くいったためしがなく、結局は薬に頼るのがオチなのだが、少なくとも絶食中はゲリベンが出ないのでそれはそれでいいという面がある。しかしこれも何回かやっていると慣れてくるもんである。普段の生活だと定期的な食事が遅れるだけでだいぶ空腹を感じるが、ある一点を超えると、そこからは案外耐えられる。おそらく、体がエネルギーを求める由来が、胃や腸で消化したものから、体自身に蓄えているものへ切り替わっているとか、そういう感じなのだろう。あぁまたこの感覚だナ、久しぶり、と無意味にベテラン風情もある。

 そうはいっても腹は減る。「飯テロ」という言葉があるが、普段はあまり動じない僕も、絶食中の身にうまいものの画像は目の毒である。なのにあえて見ちゃったりして、「これは精神修行だ…」と言い聞かせたり。

 こうして普段あまり私が気を払わない「食」に思いを馳せていると、やはり食べるということは大事にしたい!とシンプルな一つの結論に至った。

 混沌としたこの世の中で、価値観も人それぞれ、そもそも自分が何をしたいのかわからない…ということは常に身につきまといます。そんななか、原点に立ち返ってみれば、動物としての自分が求めるのは、うまい飯を食い、あったかい布団でぐーぐー寝る、まぁあとはいい女、とりあえずそこでしょうと。

 「食べること」に対する苦手意識もあってか、いままで食をないがしろにしてきた自分だが、もっと大事にすべきではないだろうかと。いうことに気づくわけです。食から逃げてきたのではないかと。偏食な私でも、うまいものはやっぱりうまい。これは間違いないのですから…。

 そうすると今まで飲み会でウーロン茶数杯と適当なつまみで3000円いくら出していたのも今更のようにばかばかしくなってきた。普通に料理に力を入れている店だったら3000円でだいぶいいものが食えるよ。1500円のちょっといいパスタも2回食えるよ。

 そして「誕生日になにか欲しいものある?」とお母さんに聞かれた僕は「旨い海苔をくれ」と答えるに至った。

 飯が上手い店に行こうよ。あなた、そしてキミの一番のお店を教えておくれ。こちらも一軒だけ持ってます。

2017年9月19日火曜日

年末がちらりと見えてきた

 更新が遅れてしまってどうもすみません。
 9月も半ばを過ぎました。私の誕生日は9月21日。年末まで残り101日という日らしい。
どうせなら残り100日のほうがキリが良かったが、101も101匹ワンちゃんなどに引用された由緒正しい数字なので文句は言うまい。

 9月というと、まだ夏を引きずっているという感じだ。しかし10月となるといよいよ今年も残り三カ月、ということで年末を少しずつ意識し始める。私の誕生日はちょうどその間の時期。

 以前にも書いたかなと思うが私の2017年の目標は3つあった。「就職を決めること」「国際学会で発表すること」そして「皆既日食を見ること」である。これらは8月21日をもってすべて達成されてしまった。ということで今年の残りを有意義に過ごすべく、2017年のエクストラ目標として、「毎日四股を100回踏む」「毎日開脚ストレッチをする」ことを掲げる。

 これらの目標は2017年の3大目標と異なる。3大目標が単発で達成するタイプの目標であるのに対して、エクストラ目標は継続すること自体が目標になっているのである。

 後付けではあるがこの違いは案外合理的である。まず3大目標の設定にあたってはやや低めのハードルを設定した。「達成できると思われるが、達成できない可能性もあるし、達成しないわけにはいかない」こういうラインである。結果的にうまくいった。一方、エクストラ目標はやや高めである。「100日くらいならぎりぎりできるかもしれない」そういうラインだ。1年の初めに継続目標を立てたってできるわけがないだろう。人間心理としては終わりが見えていると頑張れるということもある。それがちょうどこの時期というわけです。

 年末に向けたラストスパート感はなんだか好きで、「今年のうちにこれやっとこう」ということをできるのが一年の中で唯一できるのがその時期だ。去年も漫画や映画など、いろいろ見ないままにしておいたものをそこで消化した。消化するという感じになってしまうのがやや良くないところだが。本来まだ年末には早いが、おそらく12月はさすがに修論で余裕がないかもしれないので11月くらいを年末と思って早めにリストを挙げておくことにしよう。

〇本
・ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環
・利己的な遺伝子
・塑する思考
・大山康晴の晩節
・麻雀放浪記

〇映画
・イエスマン
・LIFE!
・日本のいちばん長い日
・ゴッドファーザー2
・アマデウス

〇まんが
・AKIRA
・幽遊白書
・からくりサーカス

 これらをすべて成仏させれば、2017年に悔いなしといったところでしょう。

 ところでついでに2018年の3大目標を考えてみた。「修論を書いて卒業する」「会社をやめない」「彼女と別れない」こちらはある意味継続系ですけど。ラインとしてはちょうどいいはず。

2017年9月2日土曜日

8月33日

 本多君のブログをみていると、けっこう私が書きそうなことを書くのでゴーストライターをやってもらってもいいんじゃないかという気になってきた。
 前回の投稿からわずか半月の間に、アメリカへ行き、関西に行き、河口湖へ行き、正直詰め込みすぎという感じで、もったいない。しかしほとんど何もしない2週間もあるので、それを考えれば良かった。
 ところで僕は比較的旅行によく行く方かなと思うが、旅行が好きかというとふつうである。旅行は誰かと行くことが多いので、退屈しないというのはいい点だ。だが、時間ができたら即旅行という人がいる中で、私は人に誘われたら、というのが多い。今回の皆既日食に関しては例外で、珍しく私の強い願望が表に出た、ということになる。
 私が春から就くことになる仕事はなかなか忙しそうなので、当然、今までのように自由に旅行に行くというのはできなくなる。(なんの仕事についても、忙しくない大学院生より暇なわけがないけど)来年以降、ぼくは「学生時代に、もっと旅行に行っておけばよかった…」と思うだろうか?

 一般的に、旅は人間を成長させるものとして推奨される傾向にある。海外のいろんな国に行った人の話とかを聞くと、自分も成長したい節があるので、例えばソロ海外旅行とかしたほうがいいかなと思うこともある。しかしその度に、旅行したからって偉くなるわけじゃねえやい。と逆側からの声も聞こえる。こういうとき僕はいつも、尊敬する先人たちを思い浮かべる…。
 これは非常に勇気づけられる事実だが、世の中、事を成している人ほど忙しいものである。羽生善治先生の本を見ても、タイトル戦を戦うようになってからは旅行はいけなくなったとおっしゃっている。力士も、人によっては正月も元日しか休まないという。しかし、そういう人たちはむしろ私にとってはあこがれの存在である、求道者である。私と同い年の宇良関はこう言う。相撲界に入ってから暇だと感じたことは一度もなかったと。
 
 旅行どうこうに限らず、何かを考えるときに、ぼくは相撲や将棋の世界を引き合いに出すことが多い。世の中いろんな世界(業界)があるが、相撲や将棋の世界は一般からするとかなり特異である。しかしそれゆえに、安心する部分もある。僕たち凡人は、世の中の調子というのについ自分の心を無意識に合わせようとして疲れてしまうじゃないですか。そういうときに、いや、俺の尊敬する人たちは、こういう調子に合わせて生きてはいないぞ、というね。こういう考え方は結構ひんぱんにするんだけど、みなさんはどうですか?

2017年8月17日木曜日

ドラゴンボールはいいゾ

 毎日毎日、雨ばかりでございます。暑いときは暑いときでウンザリしていたが、こうも雨が続くと、もっと夏らしくあれよ!と言いたくなるもんです。洗濯物も乾きゃしない。

 研究室ははっきりとした夏休みというのはないんだが、なんとなく8月というのはお休みモードになってしまって、私もさぼってしまっております。そんなわけで相変わらず暇な毎日を過ごしている。暇な大学院生だからといって、優勝!ということもない。謙虚に、起き、飯を食い、クソして、寝る。そういった趣の毎日である。

 時期によって、新しい本や映画をむさぼりたいというときと、全くそうでないときがあるが、今は後者である。経験則上、暇なときは後者になる。
 そんななか、今再び、私の中で、ドラゴンボールのブームが来ている。なんだかんだ言って、自分の一番好きな漫画はドラゴンボールと言っても過言ではない。結局、幼少期に好きになったものは今でも超・魅力的である。(ちなみに、もしインタビューかなんかで「好きな漫画は?」と聞かれたら「めぞん一刻」と言いたい。特に理由はないが。映画の場合は本当はスターウォーズだが、よそ行きの答えとしては「ファイトクラブ」)
 なぜ今になってドラゴンボールかといえば、YouTubeで孫悟空の声優の野沢雅子さんのモノマネをやっている芸人のアイデンティティの動画を見てすっかりはまってしまったんである。
キャラではなく声優のモノマネというのがおもしろいし、何より野沢さん自体の見た目のインパクトがそもそも凄い。ドラゴンボール知らなければわからない部分もあるネタだけど、これが2017年にまぁまぁ一般ウケするというのがドラゴンボールの凄さよ。
 ドラゴンボールってほとんど30年前のマンガなのに、新しいアニメがやってるのもあって過去のものというよりは普通に今楽しまれてる。前も書いたけど今の小学生も普通にドラゴンボール好きは一定数いるみたいだが、そんなマンガほとんどないよ。
 ドラゴンボールの魅力というのはいくら言葉で語っても言葉では追いつかない。というか、なぜドラゴンボールだけがこんなにも特別なのかということは正直よくわからない。キャラがとにかく魅力的というのはあるが、話は普通といえば普通だし…。ある意味でスターウォーズに通じるとこはある。点数で評価してしまったらそんなでもないが、なんだか魅力的で、その気持ちを世代や国を超えて多くの人が共有しているという点で。
 ただ、少なくとも鳥山明の絵に良さがあるのは間違いない。最近ドラゴンボール関連で見つけたもう一つ面白いのが、公式同人の「転生したらヤムチャだった件」。
ドラゴンボール外伝 転生したらヤムチャだった件
これがついこの前完結して、なかなか面白いのだが、やはり、な~にか違う。というのはやはり絵なんじゃないかな~と。これもかなり上手いのだが、少し違う。その少~しの違いの中に超大事な鳥山明エッセンスがあるのではないかと。(まぁ、中編までは良かったので単にチャオズの絵が上手くないのが原因かもしれないが…)
ドラゴンボールにかぎらないが、最高に属するマンガ家の絵というのはたとえ何気ない小さい一コマだけでもすごくいい。

いいね。



2017年7月31日月曜日

 こうしてブログを書く以上は、できるだけ読者の皆さん方に楽しんでもらえるような内容にしたいのだが、いったいどういうのが人気なんでしょう。twitterと違っていいねもないのでよくわからないが、あまりウケを気にし始めるとオキモチ上良くないのでこのままが良いのかもしれない。
 とにかくここのところはほとんど何の心配もなく、ただゴキゲンに過ごしているため、こうして書く方も内容が薄くなってしまうというものだ。なんせ研究室のゼミ合宿の集合写真で一番前で寝そべってしまうほどである。普通はこんなことしない私である、いかにゴキゲンかということがうかがえる。
 また私にとかく付きまとう退屈のほうも、蓼科、ゼミ合宿と立て続けにあったのであまり感じないうちに7月も終わりを迎えてしまった。まぁ蓼科のことくらいしか書くことがないんで書くか。
 
 去年でやめようと思いながらも、結局今年も行くことにしてしまい、3年連続3度目の付き添いとなった。初心者から中堅になってしまった今回は、付き添いOBの中でも上から2番目の年齢で、時の流れを感じずにはいられなかった。しかし変わるのは自分だけで、山の方は何の変化もない。相手は毎年高1だし、スマホを回収された高1など恐るるにたらず、本質的には毎年同じである。つまり、バカでエロの男子、地味な男子、男子より大人びてるがなんだか恋愛脳な女子、そういうのがいろいろと集まっていて、そして全体的には優秀で真面目でやりやすい、そういうのが我が母校である。去年、おととしは「これが高校1年生というものか!」と少し関心?したところもあったが3回目ともなると特に感激もない。ついでに去年まであったような気がする蓼科ロス的な虚脱感も特にない。

 そして、こういうことを言うのもいかがなもんかと思うんだが、なんだか私やけに女子高生にモテるんですよ。なにがっていうとまぁいろいろなんすけどね…。去年もそうだったが今年もそういう風潮があって、「そういうもんか~」と本当はゴキゲンになりつつもあたしゃ冷静です。ウム、冷静よ。女の子からしてみると、先輩補正というのがありますよね。そしてスマホもない山中という非日常です。あたしも、少しはイイ男でありたいと願いつつ日々生きているが、正直、実物以上にイイ男に見られていると思うので少し戸惑う。これが蓼科マジックっつうもんか~とも思う。(注:蓼科マジックとはふつう、蓼科生活でカップルが成立することを指す用語として用いられる)

2017年7月19日水曜日

近況

こんばんは。
近頃どうにも書く意欲がおきません。少し前まではネタがわりとすんなり思いついていたのですが。
さらには読書も停滞していて、ちょいちょい読んではいるのだが途中で飽きてしまってやめるケースが多い。
一方、最近は「算数オリンピックの問題を解く」ことをたまにやっている。難易度がちょうどよくて解ける問題と解けない問題が入り混じっているのが良い。数学と違って証明に代表される厳密な論理が必要なく、答えがあっていればよかろうというのが算数なのでそこが良い。
相撲活動(やるほう)はまぁ順調で、わずかながら筋肉もついてきた感じがある。ただ、運動による爽快感は基本その日にしかなく、そこの持続性がないのが残念である。
本当は今年は蓼科に行くつもりはなかったのだが、結局今年も行くことになったので次はそれが書けるかな。なんでも今年のクラスには「けやき坂」がいるという。

7/23追記
最近読んだ中で、澁澤龍彦「快楽主義の哲学」これは面白かった。おススメ
さらに今読んでいる赤瀬川原平「超芸術トマソン」これは途中だが、超面白い。内容も面白いし、何より文体が私の理想形のひとつといえるほどに秀逸、読ませる。

2017年7月4日火曜日

類友

 最近は文章を書きたいという気分になることがあまりなく、今までだったら更新をしばらくやめてしまうところだが、数人の読者の期待に応えるべく今回も書くことにした。富樫先生は数百万人のファンを待たせているのに比べて私はえらい。

 こう言っちゃなんだが、私と非常に親密な友人、つまり、このブログを読んでいるみなさん方って、社会に対して、すんなりと適合できていない傾向がありますよね。多かれ少なかれ、人生における各ステージで世の中から要求される出来事に対して正答を続けることから少し外れるという。意図的にそうすることもあるし、そうではないこともあるでしょう。別に意識しているわけではないが、私としては優秀でまっすぐな人よりもむしろそういう人の方が付き合っていておもしろく感じるので、周りに多いのも自然なことと思う。
 翻って自分を見てみる。幸いなことに人づきあいがまぁまぁ得意なので、多くが人づきあいによって構成される社会においては、一見適合余裕みたいな顔をしているところもあるが、なにかやはり健全な社会適合者とは根本的に違う。昔はそういうことを全く思わなかったが、浪人したあたりから自分のこうした人間性が少しずつできてきたと感じる。
 人生やっていると、大小さまざまなつまづきがある。今のところ僕が年単位でつまづいたのは浪人のときぐらいだが、それは単に学力不足というだけでなく、背景にそのとき社会の歩調と合わせることをいったんやめたいという気持ちが確かにあった。
 類は友を呼ぶという諺もある。僕のまわりでのつまづきを見ていると、大学を卒業して社会に出ていくという当たり前のステップは、僕らのような人間にとっては決して簡単に達成されるものではないということを思い出す。
 就活に関しては、結果的に運よく、行きたいとこに内定をもらうことができたが、よくよく考えてみれば、よくよく考えてみなくても、1社しか受けないというのはおかしい。普通にいまだに決まっていないという可能性は全然あった。それもわかった上でそういうことをやってしまうのは、人生に対する丁寧さ、真摯さの欠如である。

 しかしとりあえず社会に出るまでのステップは、修論を残すだけとなった。研究はまるで向いていなく、詳細は省くが2年間携わったカンボジア関係のプロジェクトを外されることとなった。M1ならともかく、M2でなかなかそういうことはない。油断していたがやはり僕はこういう人間である。研究がまるでできずに大学院中退ということは可能性としてまだある。ちょっとここは、なんとか頑張りたい。

 ところでこれが、このブログの第100個目の投稿になる。細々となんとか続いてきたな~。これからもよろしくお願いします。

2017年6月18日日曜日

6月前半のこと

 今週も更新が遅れてしまいましたー。
 昨日まで学会でフィリピンのマニラに行っておりまして、初の国際学会を経験してきました。
 今年の目標は「就職を決めること」「国際学会に行くこと」「アメリカに皆既日食を見に行くこと」なので3分の2を達成したということとなり、まぁ順調。

 なんかfacebookでも通じるような書き出しをしちゃったね。
マニラは湾に面しているということだけは知っていたので、ビーチでも楽しめるんじゃねえかと期待していたんだが、残念だがそういう感じではなかった。訪れた場所がたぶん日本でいう霞が関みたいなところだったので、東南アジアの雑多な印象もあまりなかった。全体的には外は暑く、室内は寒いという印象ばかりが残っている。料理はおいしかったし、パトカーはたくさん走っていたが特に危険を感じる場面はなかったので、特に話のネタとなるようなこともなかった。

 フィリピンに行く直前の日曜日は練馬のわんぱく相撲の手伝いをした。まわしをつけはじめてまだ1か月くらいなので手伝えることもないのだが同好会のおじさんから誘われて、近かったので行ってみると普段からそこで相撲を習っている子供と、初めてやる子供と合わせて50人くらいの子供がいた。私は何も知らずに行ったのだが、その相撲クラブ出身から大相撲に進んだ幕下力士の栃丸が来ていた。幕下とはいえモノホンの力士、名前程度しか知らなかったが調べてみれば私と同い年ということで少しテンションが上がった。

 よく巡業などでみる、子供が数人がかりで力士にあたって力士にぐるぐるぶん回されたりするやつが展開されて、油断してみていたら、大人も当たってみてください、と。てっきり2人くらいで行くのかと思いきや「大人は一人で!」という。
 少しビビったが、まぁこんな機会もないので土俵に上がってみた。私なりの全力であたったが、当然びくともしない。まさにぷにぷにの岩。しばらく押させてもらったあとに持ち上げられて担がれるような形に!こうなるともうどんな状態になっているのか自分でもわからない。気づけば土の上、前後も不覚で、相撲中継でたまに見る、戻る方向がわからなくなるアレを経験した。
 それにしても相撲歴1か月で現役力士にぶつかれるという経験をできるとは思ってなかった。まぁなんでもやってみるもんだ。最後は2ショットで写真も撮ってもらった。ありがとう栃丸さん!当ブログは栃丸さんを応援します。

 ちなみに前回宣言した柔軟は二日くらいしかやらなかった。コイキングはまだやっている。一方相撲の子供たちでも熟練の子は完璧に股割りができていて、しかも私より体重が重いというのもちらほらいた。小学生といえども本気でやったら負けるで…

2017年6月3日土曜日

はねろ!

 この数日更新を怠り、今日はちゃんと書こうと思っていたのにすっかりこの時間まで忘れていた。それというのも世界卓球を見ていたからだ。ちょうど現在ドイツで卓球の世界選手権が行われているのだが、テレ東がそれをなかなかの気合で放送していて、今日は夜の7時から12時半ごろまでずーっと流していた。
 実は私は、現在ではスポーツの中では相撲、ボートに並んで卓球を「BIG 3」の一角として位置付けている程度には卓球ファンです。まぁたぶん今はほんとに一番面白いところです。日本の若い選手が伸びてきて、少し前まで想像することもはばかられた世界一、金メダルというのも夢でなくなってきている、そういう段階なのです。こういうのは手が届くか届かないかというところが一番面白い。いったん手が届いてしまうとそれが当たり前みたいになってしまうものです。例えばサッカーで言っても、(リアルタイムで楽しめた世代ではないが)やはりワールドカップまであと一歩のところで逃した「ドーハの悲劇」、初めてのワールドカップを決めた「ジョホールバルの歓喜」あたりは今でも何度もテレビで見るし、本当に面白かったと思う。今では出場は当たり前なもんで、それくらいじゃ喜べんよと。それで明日は卓球は若き天才の平野美宇が中国の最強女王丁寧に挑みますので非常に楽しみにしております。今大会での金メダルもありえると思うし、だめでも東京五輪では現実的な目標として期待ができる思っております。

 ところで就活も終わってしまい、私の方はめちゃくちゃ暇になってしまった。人間暇になるとろくなことをしないもんで、この一週間はコイキングを育てるアプリに多くの時間を費やしてしまった。本当にこのアプリはゲーム性もほとんどなく、餌をやったり特訓したりして跳ねる力を伸ばすだけなのだが、いかんせん暇なので、とにかくやっている。レベルがマックスになると引退、代替わりしてそれぞれ「〇代目」とナンバリングされるので、ここは歴代横綱っしょ!と思い初代から順番につけていったら一週間でもう61代目北勝海まで来てしまった。これは思いもよらない速さであった。ちなみに北勝海(ほくとうみ)というのは現在では八角親方として相撲協会の理事長を務めておられる人物である。ご存知このたび横綱になった稀勢の里は72代目であるので、しばらくかかるだろうと思って目標にして始めたのだが、もうすぐそこまで来ている。73代目以降の名づけはどうしよう。
 まぁこんなくだらないことで悩んで幸せだよと、そういう見方もあるが、こんなことばかりもやってられませんよ。卓球を見ていても自分の人生の輝きのなさと比較してしまってつらいというものだ。数えてはいないけどこの一週間コイキングに費やした時間を何か他のことに使ったら結構なことができたんじゃないかと思うよ。円周率で言ったらきっと100桁は覚えられたでしょう。(無意味さで言ったら大差ないケド…)
 せっかくこのブログを半月刻みでやっているので、何か2週間単位でトライして報告するというのをやってみますか。書くネタにもなるし。最初は何にしよう?
 じゃあ相撲のほうにも役立てる意味で股割り(開脚)でもしましょう。今やってみたところ、壁に向かって開脚して股と壁の距離が40cmくらい。2週間後には25cmを目標にします。
 ※チャレンジネタ募集します。なんでもOK。

2017年5月17日水曜日

相撲ファン

 大相撲夏場所が始まりました。今場所の焦点は稀勢の里の怪我の状態はどうか、高安の大関昇進なるかと、なかなか見どころがあります。
 そこで、先場所の千秋楽に引き続いて、いわゆる相撲オフ観戦会のようなものに出向いた。そもそもは「幕下相撲の知られざる世界」というディープなブログを書いている方が主催しているとTwitter経由で知ったのがきっかけで、今回は2度目である。先場所の千秋楽にはじめて参加して、正直もう行かなくてもいいかな、と思っていたのだが、今回テレビの取材が入るということで誘われたので再度行ってみた。
 番組はテレ朝のサンデーステーションという当日の夜放送される報道番組で、数分間相撲のコーナーが挟まるという。本場所の映像はNHKが独占しているためまったく使えず、主に観戦してるようすを撮ろうとしているようだった。だが取材班は、相撲のこともまったく知らず、稀勢の里ブームに便乗してるというのがありありと見えた。番組は稀勢の里ありきの特集をするというので、私が白鵬ファンと明かすとインタビューすらしてくれない。最近では相撲に関する報道も増えてきて、相撲界には追い風が吹いているが、そのほとんどがこういう便乗、にわかによって作られていると思うと切ない。
 そんななか夏場所初日は稀勢の里が力なく嘉風に敗れて、今後が不安になる出だしとなった。私はインタビューを受けなかったが、なんだか質問も要領を得ないというか、いかにも「稀勢の里、怪我に負けずに優勝してください!」と答えてほしそうな感じがでていて、しょーもなさを感じた。周りの稀勢の里ファンの方々も、「稀勢の里もう休場してくれ…」的な空気だったのでどうにも噛み合わない感じ。
 まぁとにかく結果的に、稀勢の里の取組を見ている場面で私も数秒間だけテレビに映ったらしい!放送は見れなかったが小ネタが一つ増えたのでまぁ良しとしよう。



 ところで相撲オフは自分にはあまり居心地のいいものではなかった。2回目の参加とはいえ基本的に知らない人ばかりというのがひとつ。また、これはジャンルを問わないと思うが、あぁいう場は往々にして知識のマウンティングのような感じになってしまうし、オタクというのは自分が話したくてしかたないという傾向が強いので会話が一方通行になる。まぁそれはいいとしても、一番の問題として、テレビの解説が聞こえないということである。そのへんの相撲ファンのくだらない意見より、NHKアナウンサーの、どうやって探したかわからないくらいニッチな記録や、北の富士さんの話を聞きたいのだ。特に北の富士さんなんかいつ死んでも、もといいつ引退してもおかしくないのに…。
 相撲観戦は、ひとりあるいは家族でまったり楽しむいうスタイルに慣れてきたので大勢の知らない人と見るというのにシフトできる感じがない。世の中オフ会というものが盛んだが、同じものを好んでいるように見えて見方が違って、むしろその差が気になってあまり仲良くなれないというのは一般的にあることなんじゃないかと思うね。
 
 というわけでしばらく行くのは控えようと思う。数藤君、千秋楽いっしょに観ようよ。

2017年4月30日日曜日

空腹記

 カンボジアでまたも体調を崩し、お腹を壊したので、最近ほとんどまともに飯が食えていない。
Always空腹状態で3キロくらいやせてしまった。これほど食わないこともなかなかないので振り返ってみる。

4/25 火(カンボジア3日目、脱水症状発症)
朝 普通にそれなりに食べた
昼 肉、ごはん1/2杯(ここから食欲がなくなる、脱水症状発症)
夜 バターコーン、スープ小鉢3杯、小籠包2個、どらやき一つ(本格的にダウン)

4/26 水(カンボジア4日目、ホテルでダウン)
朝 なし(部屋から出る気力なし、頭痛)
昼 なし
夜 オニオンスープ1/2杯 ハンバーガー1/4杯(体調は良くなってくるも、腹に不安) 

4/27 木(カンボジア最終日)
朝 粥小鉢3杯(体は元気に)
昼 フライドポテト数本(腹痛より空腹を選ぶ)
夜 小さいポテトチップス、マドレーヌ?(機内食)

4/28 金(カンボジアから帰国、ゼミ合宿1日目)
朝 たまご粥1杯
昼 (このあたりで一度通常の便戻る)
夜 うどん1杯(なんてこった!真夜中トイレに4度駆け込む)

4/29 土(ゼミ合宿2日目)
朝 みそ汁1杯(守りの姿勢)
昼 ラーメン1/3杯(挑戦したが無理だった。足立に食べてもらう)
夜 粥1杯 ポタージュスープ1杯(守り)

4/30 日(家で静養)
朝 ポタージュスープ2杯 たまご粥1杯(下痢症状に改善の兆しなし)
昼 ポタージュスープ1杯
夜 粥1杯 納豆1パック 卵1個(よく噛んで食べる)

早く治さないとまずい。

2017年4月17日月曜日

相撲は楽しい

 【私、ついに相撲を取り始める】

 今日、早稲田杯という素人相撲大会に出場してきた。大会は今年で第7回だが、自分はもちろん初めての(そして最後の)出場である。この大会はデーモン閣下主催で、生閣下を拝ませていただくなど、なかなかに面白かったが、詳細は割愛する。ルポルタージュにチャレンジしてみたが、会場に入場するところで挫折したのでいきなり試合のとこから始める。情けないが。

 参加者が全部で17人ほどで、4人か5人ずつ予選リーグを行ったあと、各リーグの上位二人が決勝トーナメントを戦うという仕組みだ。私は一番最初のリーグ。初戦で戦った相手は、パキスタン人のハーフの新入生。本来は体重の近い人同士で組まれるところが、急きょ参加人数が変わったなどで70キロぐらいの筋肉質。あとで聞いてみると高校でやり投げをやっていたとか。気持ちだけでは負けへんと、立ち合いは頭からぶつかっていったが、明らかに圧力で負けて、何もできずに土俵を割ってしまった。だが休む間もほとんどなく、すぐに次の試合。相手は相撲同好会の5年生。体格は私とほとんど変わらないので力はそこまででもないが、やはり経験豊富でこれまたよくわからないうちに負け。これで負けた時点で予選リーグ敗退は決まってしまったが、せめて一勝はあげたい。最後の対戦相手は私より細いくらいの一年生。見るからに貧弱。だが、、まぁ、、結果から言うと、負けた。内容は実はあまり覚えていない。すこし長い相撲になったが、なにか攻め手にかけた。
 3戦全敗。一勝くらいはしたかったので、ああ俺の力はこんなもんかと少しがっくりくるような、気恥ずかしいような。
 だが、なんだかんだ言って相撲を取るのは楽しかった!裸と裸のぶつかり合い、八百長なしのガチンコ一発勝負。いつも見ている相撲を実際にとってみると、まさに、見るとやるとでは大違いである。まず、めっちゃ疲れる。一番とるだけで。わずか数秒か数十秒の対戦でもダッシュしたみたいに息が上がる。これはやってみないとわからない感覚である。そして思うようには動けない。技というのが思っているようにきれいには決まらない。しろうとどうしの対戦だとだいたい二人でもつれながら倒れるということが多い。
 結果的に、私が負けたパキスタン人ハーフと同好会の方は二人ともベスト4まで進んで、特に同好会の方は小さいながらも体格をものともせず3位になった。体重の軽いリーグだったが決してレベルが低いほうではなかったのだとなぜか少し安心した。

 今回私は勝利の味を知ることができなかったが、これから同好会に定期的に参加して、もう少し相撲をやっていくことにした。実力も素質もゼロからのスタートなので、今後稽古を積むことによって少しでも成長できたらそれは努力の証ということになるので、そういう意味では少し楽しみである。

2017年3月31日金曜日

3月後半


 年度の変わりは年の変わりに比べると、もやっとした感じで切り替わるので(新年はパリッと)、まして環境に変化のない今年は気持ちのもりあがりは大してないが、とにかく2016年度がお終いです。研究室の中でも上の学年になるということで少しありがたさがある。早速席決めに際しては権力をふるわせていただいた。

 ところでこの2週間は何となく長く感じた。挙げてみればボートの聖地天竜に初めて行ったり、その帰りに初めて切符を切られたり、報告書を書きまくったり、卒業生を送り出したり新入生を迎えたり、照ノ富士が変化したり、稀勢の里が怪我をしたり、稀勢の里が優勝したりとなかなかたくさんあった。いろいろ書こうとすると失敗しますからどうしようかねぇ。

 時期も時期であるし、しかたないので就活の話でもしましょう。年度末だし、自分語りを聞いてくれ。現在私は就活らしい就活をほとんどやっておりませんで、一社のみを受けている最中であります。説明会も全然いってないという有様である。本当に、エントリーシートをたくさん書いたり説明会に行ったりOB訪問に行ったりしているまわりの人をみて、なにやら申し訳ないような気恥ずかしいような気持ちもあるが、ここは自分を貫くのみである。個性的であることは孤独だと誰かも言っていた。

 かねてから「普通」からの逸脱を志していた(ださい!)私も気づけば、なんだか普通から外れてきてしまったようです。しかし別に初めからこうしようと思っていたわけではなく、自然とこういう風になってしまった。
 現在受けている会社は大工を育成する静岡の建設会社です。私は大工を目指そうとしている。自分で書いていてほんとかよ、と思わないでもない。

 別にもともと大工を目指そうとしていたわけではない。きっかけは去年の12月に私が「出なかった」ある授業について特別講師が来た時に、出席した人に「どんな人が来たの?」となんとなく聞いた。その講師は早稲田の建築をでてしばらく大工をやって、今はなんかの設計をやっているような人だったという。そこでなるほど、大学でて大工という選択肢もあるのかぁ、ふーん、どうやってなるんだろう、飯食っていけるのかな?と思って「院卒 大工」などとネットで検索して引っかかったのが今志望している会社である。見てみるとなかなか面白そうな会社だったのでとりあえずインターンに申し込み、1月に1泊のインターンに行き、3月上旬の1次選考に通って、2次選考を待つ身が今。

 なぜその会社しか受けてないかというと、そのインターンで出会った社員さんが2人も「ここしか受けなかった」と言っていたので、フムそういう気概とおおらかさが大事かと思って、あと他に興味のある会社もないし、面倒なのでこうしている。さらに他にも、芸大卒のある社員さんはなんと卒業式の一週間くらい前に会社に初めて連絡をとりそこから入社したという話を聞いて、その社員にしてその会社ありという気持ちがある。なんだか誰でも入れそうな気がしてくるが、実は結構な倍率らしく、正直安パイというわけでは決してないのだが、もう気合いである、気合い。1次選考にもちゃんと人いたし。さしもの私も受けた後は生きた心地がしなかった。

 まぁ世の中いろんな人がいますよ。人生に対する見方は思っている以上に多様であると思う。だがまわりはものすごくちゃんとした人だらけで、ちゃんとした人たちがやるようにやっていかないと生きてゆけないと思いがちだが、そうでもないはずだろうと。大工なんて中卒でもなれる仕事だと言われるけど、やってみたくなっちゃったんだから仕方あるまい。だが思うよ、多分初めに普通のサラリーマンになってしまったら後から大工になるのはかなり難しいと。いろんな意味で身軽である今しかなれないんじゃないかと。私に出版社を進めてくれる友もいるが、私の中ではそのへんは「ホワイトカラー」の仕事で全部一緒くたで、ある意味では例えば設備設計の仕事と変わらない。(=今のところ魅力を感じない)
 金銭面はそんなには貰えないと思うけど、若いうちはあまり貰えなくても構わないと思っている。そしてどういう道を通っても、新卒で大きい会社に入らなくても、自分に力があればいずれの日にか稼ぐようになるものだと思っている。そして自分はその力はあると思っている。だから問題ない。だめだったらそれまでの話である。

 軽く生きたい。

 私が最も憧れるのは、昔赤塚不二夫の自伝かなんかで読んだ赤塚の中学時代の友達の話である。
 中学を卒業した赤塚が高校から帰っていると、その友達が土手で寝っころがっていた。高校はどうしたと赤塚が尋ねる。すると友人は怪訝な顔をするばかりである。なんとその友人はそのときまで日本に高校というものがあることを知らなかったという…。
 
 このエピソードを初めて読んだとき私はたまげた。こんなやつがいるのかと。だがその友人ものちのちにはだいぶ出世したらしい。私もかくありたい。

2017年3月15日水曜日

3月前半

 自分のなかでバランスをとることについて。
 
 「酒がなくて何が己の人生か」みたいな古い言い回しがあるということを最近知ったんだけれども、ここまでいかないにしても、お酒を飲んでストレスを発散するという人は少なくない。お酒の楽しみがまるで分らない私にとっては、ちょっとうらやましいと思う。
 酒にかぎったことではない。いわゆる、酒、たばこ、博打、女遊びのような「飲む、打つ、買う」(また昭和くさいけど)とか、そのあたりも含め。これらは昭和的で、最近では趣味も多様化しているからみないろいろなことで発散をするが、やはり「酒もタバコもまったくやりません、etc..」というのは堅物の印象がある。
 まぁ他人からの印象は別にどうでもいいんだが、酒を飲むことが歴史的に見てもワールドワイドに広く支持されていることを考えると、人間の大人にとって酒を飲むということはかなり「必要」なことなのだと思う。酒を飲むことによってなにか精神的なバランスをとっていくと。
 さてそうした中で私は、学生時代よりさらに大変なことが待ち受けているであろうこれからの人生で、どうやって精神的なバランスをとっていくかということである。
 子供は酒を飲まない。が、「飲まなきゃやってらんねえ」という子供は見ない。当たり前である。当たり前なんだけど、仮に飲めたとしてもやっぱり子供に酒はそんなに必要ないんじゃないかという感じがする。これには3点ほどの重要な点があると思う。①基本的にはストレスの量と質が大人に比べて少ない、低い。②日々新しい経験をするので、それだけで面白い。③体育や部活で定期的に体を動かしている。パッと思いついただけで、まるで無根拠ではあるが、わりといい線いってそうではないだろか。
 酒を飲めない私は、子供のように生きていかないといけないかもしれない。まずストレスを減らしましょう!簡単じゃないよ、とほほ。日々新しい経験をする!これが一番難しいだろうよ。どうしたっていろんなことに慣れてしまうさ、無理。せめて本でも読んで新しい考え方に出会えるといいですかね。運動をしよう!まぁやっぱりこれ大事だよね。食欲も出るし、夜もよく眠れるし。でも元気でないときって運動できないよね。それが一番の問題。あと、運動した後のビールが最高!の人に、負けるわ。
 まぁそんなとこです。
 以下、3月前半に読んだ本、まんが、雑誌。
「ゲゲゲの鬼太郎①妖怪大裁判」水木しげる
「この世界の片隅に 上」こうの史代
「言葉を離れる」横尾忠則
「木のいのち 木のこころ」西岡常一ほか
「詩と科学」湯川秀樹
「Number PLUS 疾風!大相撲」
「人間における勝負の研究」米長邦雄

ちょっと読む量が多くて飽和気味を感じる。

3月前半に観た映画
なし

2017年3月1日水曜日

3月1日

 早いもので、3月になりました。前回の投稿が半月前だったのでだいたい2週間くらいぶりか。これくらいのペースが一番やりやすいのではないかと思うので、これからは月のはじめと真ん中くらいに書くことを心がけてみたい。読者諸君にとっても、その方がわかりやすくて良いでしょう。
 さて、3月1日といえば就職活動がどうのこうの、どうのこうの、どうにも避けて通れない世間であります。しかしあまり深刻にならずに、なんとかやっていこうと思うよ。みんなもなんとかやりましょう。これについて書くのはよしましょう。今のところは。

 ところで2月の頭に買いだめした本は大方読み終わり、今年に入ってから導入しているまとめ買いシステムはどうにかうまくいっていると言える。ちなみに2月度購入の本は以下でした。
『将棋の子』大崎善生
『宇宙からの帰還』立花隆
『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー
『蜜蜂と遠雷』恩田陸
『〆切本』左右社編集部
『相撲 初場所総決算号』(雑誌)
『獄中記』佐藤優
『ま、いっか。』浅田次郎
これらに加え、月の途中に買ったのが、
『笑いのカイブツ』ツチヤタカユキ
『popeye 3月号 二十歳のとき、何をしていたか?』

 これら、購入した書籍のなかでは『〆切本』以外はどれも読み終わり、しかも大変に面白いものばかりであったのでありがたい。本当にありがたい。こうしてふり返ってみるとひと月の間でも色々得られるものですな。
 本来であればすべてに対してレビューしていくのが理想で、そうすることによって読書も深まると思うんだが、そこまでストイックにはなれないので、現実的なところで一つだけ、2月の最後に読んだ『蜜蜂と遠雷』について少しだけかく。
 そもそも『蜜蜂と遠雷』は、「ご本、出しときますね」というテレビ番組で朝井リョウが「これは直木賞とる!」と熱弁しているのを見て初めて知った。それで気になっていたのだが、本当に直木賞をとってしまって、本屋でも目立つところに置かれるようになって、私としても買わねば、と買った。
 この本は装丁がまたきれいで、帯に金文字、さらにカバーを外せばつやっつやの黒に白文字のタイトル、しおりの紐も真っ黒で編集者のこだわり、熱い思いが感じられて期待がおのずと高まる。(ところで、私は何度覚えても「装丁」の読みを「そうちょう」と迷ってしまうのです。そういうのってあるよね)
 さてさて、この本の内容は「ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説」(帯より引用)である。なるほどこの本のそーてーは、ピアノをイメージしていたのかと妙に納得である。
以下、もう疲れてきてしまったので「源泉かけ流し」的感想
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 まぁ面白かったが、感覚理解するのムズイ。音楽の違いとか判らんし。途中なんかずっと音楽の描写でちょっときつい。まぁ本だから実際に聴いてもわからないようなことがイメージできるようになってて逆にすごいけど。そういう音楽感覚ほしいな。昔ピアノを拒否せずにあのときもうちょいやっとけば?映画で見てみたいけど細かな音楽の違いとか表すのむずそう、セッションみたいな感じだったらいいけど日本映画だとなんか安っぽくなっちゃいそう
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 失礼いたしました。もうだめだ。(以下の文章は上の感想より前に書いたもの)

 なんだかこのブログも読書関連の投稿が多くなってきているような気がする。しかし最近、少ないなりに読んできた本や観てきた映画が自分の価値観、人生観の1割か2割ぐらいを作っているのではないかと思う。そう思うとうれしさがあるし、やはり生活の一部として続けていきたいと思う。逆に、吐き出す文章のほうも、読書あってこそという面もあるから、まぁ仕方ない。
 読書のはなしついでに、今日は3月の初日ということでまた池袋ジュンク堂書店で本をまとめ買いしてきた。だいたい今回はこれを買おう、とamazonの欲しいものリストを仕込んでおくが、実際に選ぶのはその場の気分優先で、このあたりが本屋で本を買うことの醍醐味である。ただamazonの欲しいものリストに入れている本があっという間に100冊を超えてしまったので、こちらをすこしずつ片付けることを当面の目標としたい。

2017年2月15日水曜日

C-レックス

 ネットで見つけたことを話のネタにするのはいかがかと思うが。

 石原さとみのコンプレックスは耳たぶが少し薄いことだという。まぁ~リツイートされていたが、そりゃあそうだわ。ただ、実際にそれをコンプレックスに感じているのかは知らないが、そういうのは主観的なことなのでなんともいえない。何においても完璧に近づくほど小さなほころびが目に付くものであるから、理解できないこともない。ちなみに私は右の耳たぶに謎の「しこり」があるが、顔が石原さとみではないのでコンプレックスではない。

 コンプレックスとは言わないが、気になることとしては、鼻の機能が非常に劣っていることが挙げられる。慢性のアレルギー性鼻炎で、鼻が詰まっていることがが多い。そしてあまり鼻を使ってこなかったからか、嗅覚がとても弱い。どれくらい弱いかというと、他人の屁のにおいを人生で一度も感じたことがないくらいである。ちなみに自分のは感じる。くさい。前回投稿の手術も鼻の機能を良くするものであったが(具体的には「鼻中隔湾曲症」鼻の中の壁が曲がっているのを治した)、アレルギーが強すぎた故にあまり改善しなかったのでとてもがっくりしたものだった。今も治療を続けている。どうでもいいことだが鼻に対する意識の低い一般庶民は、鼻づまりの原因が鼻水であると錯覚しがちだが、実際は鼻の中の粘膜が腫れている状態であり、鼻水だけではないというのは声を大にして主張していきたい。
 それで自分は鼻声のことが多く、透き通るような声に憧れるが、人が鼻声であるかどうかは気にならない。人と話していると、意外なところで同じようにアレルギー性鼻炎で鼻声なんだよねーいう人に出会ったりするが、言われてみればそうかなぁというくらいである。声というのは目に見えないので、余計に気づきにくいというのはあると思う。だから、コンプレックスなんてだいたいは自分が一番気にしてるもので、他の人はそんなに気にしていないよねということなのだが、鼻炎に関しては集中を妨げられる不快な状況であるというとても個人的な問題なので、どうしても治したいのであります。

2017年2月13日月曜日

20歳のころ

 今月号のポパイの特集が、20歳のとき何をしていたかというテーマでいろいろな有名人にインタビューをするという内容で、気になって買ってしまった。
 私としては「同級生」にはまだ22歳の人もいるし、気持ちの上ではあんまり変わりがない気がするが、もうすでに20歳から40歳までの道のりのおよそ4分の1を歩んでしまったわけだから、まぁ割と年月が経ったともいえる。20歳から見た24歳は結構上だろう。
 こういう特集を見ると、自分がインタビューされたらどう答えるかしら、などとついつい青い妄想をしてしまうが、正直特に語るようなことがない。しかしそれは、現在と当時が地続きで、まだ「歴史」になっていないというのも一因であるかもしれない。
 ただ、小さなネタが一つだけあることを思い出した。
 記事の中で、「20歳の誕生日をどこで迎えましたか」というのがあった。私の場合、よくよく思い出してみれば、20歳の誕生日は、絶賛入院中だったのである。お茶の水の日大病院。薄暗い6人部屋の、入って手前右側のベッド。ちゃんと手帳を紐解いてみないと誕生日から少しずれていた可能性は否定できないが、まぁほぼそう。仮に少しずれてても、インタビューで聞かれたら誕生日は入院中でしたと答える。
 そうそう。ずいぶんと暗~い20歳の迎え方である。当時からブログをやっていれば入院記がしっかり残せたかもしれないが、日記すらちゃんとつけなかったと思う。
 その時はたしか、手術前日か前々日に入院、手術のあと血が収まるまでということで合計1週間くらいの入院だった。どうせすることもないので、いっぱい本と漫画、映画がみれるぞーと思ったが、まぁそういうのは往々にしてうまくいかない。映画は5本くらいレンタルして、わざわざ6000円くらいのポータブルのDVDプレーヤーまで買ったが、結局みたのは2本だけだったな。記憶が正しければ、スパルタンXとフォレストガンプ。本に至っては、一冊も読んだ記憶がない。手術後は体力を消耗してたうえ、鼻にぎゅうぎゅうの詰め物をしてたのでしかたがない。漫画だけは結構読めた。兄に借りたワンピース(空島あたりから当時の最新刊まで。30冊くらい?)、御橋から借りた大純情くん、MW。大純情くんは特によかったなぁ。
 しかし入院というのはあれが初めてだったが、いいものである。何故なら寝てるだけでいろんな友達が来ていろんな差し入れをしれくれるから。ただ心残りなのは、女子が来なかった。そのときは鼻に詰め物をするビジュアル面の問題から、女の子にはまったく入院の事実を伝えなかったのです。必然的にそうなったのです。自ら、それを選んだのです。
 だから、こんど入院したら女子に見舞いに来てもらうのが夢なんだ。ただし、全身麻酔、それにともなう尿道カテーテル、鼻ガーゼ16枚詰め込み、夜中の出血⇒シーツ血まみれは勘弁したい。

 なんだか話が変わってしまったが、これが私の「20歳のころ」であります。


2017年1月28日土曜日

本を買うこと

 最近になって気づいたことがある。私は本を買うことが大好きだと。本を読むことが好きだと思っていたんだが、それよりも買う方が好きだ。どれくらい好きかというと、相撲を観ること、人と話すことと並んで3大趣味と言ってもいいくらいである。

 個人的な趣向として、古本はあまり好きでないので、新品を買う。新品を買うときの喜びは古本の1.5倍から4倍といったところか。(値段に比例する?)それなら古本を4冊買えばよいのでは、という人間とは議論をしたくない。

 そしてもうひとつ、面白そうな匂いがプンプンするやつ、あるいはデザインが好みのやつは、場合によってはハードカバーで買う。昔はハードカバーの本なんて誰が買うんだと思っていたんだが、今では自分が買うようになってしまった。もちろん文庫なら、同じ内容で、値段も安く、持ち運びやすい。しかし、ハードカバーが文庫と違うのは、大きさ、背表紙まで含んだすべてのデザインが、その本を完成させるためだけに積まれた努力だということである。そしてそれがその本の魅力となっている。存在感もあって、部屋に並べたときも素敵だ。

 少し前まではこういう、人に理解されないであろう、自分でもすこし矛盾しているのではないかという好みに正直になれなかったが、今は素直に言いたい。ハードカバーの本を買うのが好きだ!と。だいたい2500円から3000円だからまぁ飲み会1回分ですよ。2次会まで行ったら2冊買えますよ。そう考えるとなかなかいい贅沢なんじゃないかと思いますけど。

 ちなみに読む方に関しては昔ほど深刻に考えなくなって、まぁいい時間つぶしになったらいいな、面白い本に出逢えたらいいなという程度で、選ぶのも面白さ、好み優先になってきている。(6年くらい前のヤングな私は人格を磨くために本をたくさん読み、映画をたくさん観なくては!と意気込んでいた。それもよい思い込みだったナ。)

 そうして私の中で、本を買うということはお金の使い道のなかで最もランクが高くなった。しかし買った本たちを味わう時間も必要なので、買うにも一定のブレーキが必要だ。何より、お金が無くなるし、幸福感を味わうにはある程度の飢餓状態を作ることも重要だと思う。空腹が最高のスパイスであると言うように。

 そこで考えた。本を買うという趣味において、最大幸福を得るためにはどうすればよいか。

 そして今からさかのぼること4週間、平成29年元日。私はその数時間前にありがたくも頂いた、お年玉の1万円札を握りしめて、それを使い切るために、三省堂池袋店に行った。

{いずれここに本の写真をはさむ}

 何たる贅沢!!至福の瞬間!これが正しいお金の使い方や!「一度に二冊以上の本を買わない」という自分ルールをめちゃめちゃに破った私は満足感と幸福感に包まれて大きな紙袋を抱えて有楽町線に乗った。そして決意した。これから1か月、本は買わないぞ。と

 これが私の行きついたシステムである。予算の1万円内で本を買いこみ、それで1ヵ月しのぐ。その間に読みたい本リストを作っておき、次の月はじめにまた爆買い!

 このシステムはわりと理にかなっているのではないかと思う。予算という枠を設けることによって好きなハードカバーの本もためらいなく買える。また、1か月間本を買わないという制約を設けることで飢餓状態も作れる。予算が1万円というのは、今までの月平均から考えるとちょっと大きすぎるし、続かないと思うので変わるかもしれないが、なにはともあれ!

 元日に買った本のなかで、まだ読めていないのもあるが、それは仕方がない。しかしその代わりに1月は、昔の積ん読を解消できたり、気に入っている本の再読などもしたので良いのである。そして今は、次に買う本の候補のリストを作り、2月の来るのを待ちわびている。

(ちなみに本投稿で書いている内容はわずか半年前に長々と投稿した「私の読書生活」とずいぶん方向性が変わっています。まぁそういうもんだ。)

2017年1月5日木曜日

朝思ったこと

 なぜだか書きたいことが滝のように溢れ出している。

 その中でもすごくどうでもいいことだが、電車に乗るときに扉が閉まってしまって乗れずに諦めたその刹那、誰かが挟まったのか、もう一度扉が開くことってありますよね。その時に一歩二歩踏み出せば電車に乗れるのに、なんか乗らないで過ごしてしまうことないですか?私はもうこの電車には乗らないと決めたんだ、その手には乗らないぞ、みたいな。こういうことは自分はままあるんだが、他の人はどうなんでしょうと思っていたところ、今日そのような場面を目撃した。やっぱり誰しもにとは言わないが、ある一定の人にはあることだと思う。よくわからないけれど経済学的にはこの行動は説明されないと思うんだが、しかしある一定層にこのようなことが起こるとすると、これが起こる層には何が共通しているのか、気になる朝です。

2017年1月4日水曜日

迎春

 あけましておめでとうございます。

 年末に2016年まとめの投稿を書こうかと思っていたが叶わず終了してしまった。内容は練っていたがこればかりは永遠にお蔵入りでしょう。

 とはいえ、年内にやろうと思っていたことは8割くらいできたので、それなりにすっきりした気持ちで新年を迎える運びとなりました。

 さて、移動中に音楽を聴く期、聴かない期があるがここのところしばらくは聴かない期である。すると同じ曲がずっと頭の中を流れているということがある。それが今はプリンセスプリンセスの「世界でいちばん熱い夏」なんだが、かれこれ2ヵ月近くである。真冬なのに。

 こういうのは自然と収まるものだが、ちょっとそろそろ消えてほしい。こういうのはきっと嫌というほど聴けばいいと思う………

 違うんだ、ほんとうは ここでいつも頭のなかを曖昧に流れる歌詞を書いてやろうと思っていたんだ。でもそういう流れにならなかったし、なんだかもう眠い。

 今年もブログを終わらせずに来年へとつなげる。以上