最近は文章を書きたいという気分になることがあまりなく、今までだったら更新をしばらくやめてしまうところだが、数人の読者の期待に応えるべく今回も書くことにした。富樫先生は数百万人のファンを待たせているのに比べて私はえらい。
こう言っちゃなんだが、私と非常に親密な友人、つまり、このブログを読んでいるみなさん方って、社会に対して、すんなりと適合できていない傾向がありますよね。多かれ少なかれ、人生における各ステージで世の中から要求される出来事に対して正答を続けることから少し外れるという。意図的にそうすることもあるし、そうではないこともあるでしょう。別に意識しているわけではないが、私としては優秀でまっすぐな人よりもむしろそういう人の方が付き合っていておもしろく感じるので、周りに多いのも自然なことと思う。
翻って自分を見てみる。幸いなことに人づきあいがまぁまぁ得意なので、多くが人づきあいによって構成される社会においては、一見適合余裕みたいな顔をしているところもあるが、なにかやはり健全な社会適合者とは根本的に違う。昔はそういうことを全く思わなかったが、浪人したあたりから自分のこうした人間性が少しずつできてきたと感じる。
人生やっていると、大小さまざまなつまづきがある。今のところ僕が年単位でつまづいたのは浪人のときぐらいだが、それは単に学力不足というだけでなく、背景にそのとき社会の歩調と合わせることをいったんやめたいという気持ちが確かにあった。
類は友を呼ぶという諺もある。僕のまわりでのつまづきを見ていると、大学を卒業して社会に出ていくという当たり前のステップは、僕らのような人間にとっては決して簡単に達成されるものではないということを思い出す。
就活に関しては、結果的に運よく、行きたいとこに内定をもらうことができたが、よくよく考えてみれば、よくよく考えてみなくても、1社しか受けないというのはおかしい。普通にいまだに決まっていないという可能性は全然あった。それもわかった上でそういうことをやってしまうのは、人生に対する丁寧さ、真摯さの欠如である。
しかしとりあえず社会に出るまでのステップは、修論を残すだけとなった。研究はまるで向いていなく、詳細は省くが2年間携わったカンボジア関係のプロジェクトを外されることとなった。M1ならともかく、M2でなかなかそういうことはない。油断していたがやはり僕はこういう人間である。研究がまるでできずに大学院中退ということは可能性としてまだある。ちょっとここは、なんとか頑張りたい。
ところでこれが、このブログの第100個目の投稿になる。細々となんとか続いてきたな~。これからもよろしくお願いします。
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