2016年7月23日土曜日

Go!


ポケモンGOリリース!

実は私、ポケモンに関しては一番最近発売されたアルファサファイヤで760匹ほどのポケモンを集めるくらいにはマスターなんですけど。

さっそくダウンロードして、ヒトカゲとキャタピーとドードーだけ捕まえた。でもなんだか外でやるといかにもポケモンGOやってますっていうのがばれて恥ずかしそうだな~。今月は通信制限だし、これからはまるかは未知数であります。

日本より先にアメリカをはじめとしていくつかの国で先にGoさんは出ていたので、すでにいろんな話が聞こえてくる。任天堂の株価が上がったとか、ポケモンを探していたら死体が見つかったとか、うつ病が減ったとか。やはりクローズアップされるのは、今までゲームというものは人を家にこもらせていたのが、Goは外に出させる点で画期的であると。実に素晴らしい。

しかし、私は言いたい。人を外に出した「ポケモン」はこれが初めてではない。

ここでポケウォーカーと思ったあなたは50点。ハートゴールド、ソウルシルバーについていたあれであるな。正直なところ、私はこれを持っていなかったので以下割愛。



時は遡って20世紀。あなたは知っているだろうか。「ポケットピカチュウ」の名を。

これ!















ああ!懐かしい!というか、ピカチュウかわいい!!

ポケットピカチュウは、万歩計とゲームが一緒になったようなやつで、歩いて電気をためてピカチュウのお世話をするような、そんなゲームだったと思う。ちなみにうら若き小僧だった私は当時、「まんぽけい」を響きだけで認識していたので、まんぽけいのぽけはポケモンのポケだと思っていた。


任天堂は20年近く前からゲームで人を歩かせようとしてたんですよ。今に始まったことじゃなく。(ポケモンGoが任天堂のものと言っていいのか知らんが)

しかしまぁなかなかの勢いでポケモン復権という感じがある。ポケモンGoは昔と違って大人もやるけど、こどもが楽しんで欲しいねぇと、ポケモンで育った私は思うよ。

2016年7月14日木曜日

私を映画に連れてって


 映画をもっともよく映画館に鑑賞しに行ってたのは浪人生のときで、当時は週に1度、「午前10時の映画祭」の作品を欠かさず観ることを自分に課していた。当時は友人と遊ぶこともほとんどなく、本当に勉強以外のイベントのない日々だったので、自分を枯らさないために、浪人の時期をプラスに変えてやろうという気持ちがあってのことだったと思う。もっとも、それは夏までのことで、どうしても一度行けないことがあってから、受験への焦りもあったか、ぱったりと途絶えてしまった。

 それ以降はめっきり減ってしまって、大学生になってからは年に10回も映画館に行っていないのが続いている。

 特に最近になって、ひとりで映画に行くのがおっくうになってきてしまった。映画というのは受け取る人によって感想も違うので、どうしても終わったあとの熱の差とかが嫌で、映画は一人で行くものである、という考え方を持っていたのだが、今では誰かと観に行く方が好きだ。ご飯を一人で食べるのも寂しい。

 明日は午前中も暇で、ちょうど「アマデウス」がやっているので、観に行こうかな…と考えたのだが、なんだか面倒くさいので、やめにしようと思っている。こんな時間になってしまったからコンディションとしてもよくない。5年前の自分だったら絶対に行っていた。

 実際、浪人時代に観た映画の数々、そして有楽町みゆき座からの夜の帰り道、それらは僕の財産として残っている。そしていま、学生生活最後の2年間になって、こういうことができるのも限られていて、あとあとになって後悔しかねないのはわかっている。わかってはいるが…。

2016年7月11日月曜日

民主主義は最悪の政治形態である。今まで試みられた他のあらゆる政治形態を除いては。


 野球と宗教と政治の話はするなみたいな言葉があり。特に政治の話は難しい。口にしたとたんに自分の知識見識の浅さが露呈するというところが大きいかも。Facebookで投稿するのも同様で、決して悪いことではないがそういうのを見ると違和感、むずがゆさがある。それは、普段の人間関係の中では政治的考えが表に出ないので、ちょっと戸惑うのである。

 私自身が政治に関して発信することはほぼない。どうしても借り物の言葉になってしまうのが分かっていて、それが嫌だったからだ。今になって少し書こうと思ったのは、自分の成長のためと、考えを整理するため、ほんの少しでも自分の言葉で書けそうなことが出てきたからだ。残念だけど別に読むほどのものではない。

 今回の参議院選挙は選挙権が18歳に引き下げられた。よく言われる、若者の投票率が低いから老人向けの政策になると。若者よ、選挙に行けと。

 自分自身は20歳になって選挙権を得てからたぶん、毎回投票に行っている。行くことにどれほどの根拠があるわけでもない。なんだかんだで、自分の一票で何かが変わるわけではない。選挙にいかない人はこの強い理屈があるし、誰に投票すればいいのかわからない(興味もないし)ということがやはりあるだろう。そう考えると投票率が低いのも当たり前に思う。

 では私がなぜ投票に行くのかというと、なんとなく一人の成人として投票は行って当然という気持ちがある。それと、奥底にある、主権者としての意識。俺が行かずに誰が行く。僕たちは民主主義のなかに生きているのである。マスター・ケノービは言った。私は共和制と民主主義に忠誠を誓っている、と。それならば私も誓おう。民主主義に忠誠を。

 でも民主主義って正直よくわかっていない。そうしたら本屋で小林よしのりのマンガが目についた。小林よしのりってなんだか忘れたが、政治主張の強い人だったよな。パラパラとみると、日本人は民主主義に幻想をいだいている、民主主義は武力と切り離せないものである、奴隷の平和よりも危険な自由を(日本はアメリカの奴隷)みたいな内容で、最後は民主主義は愚民主主義だから、寡頭制民主主義にしよう(一定の試験による選挙権の付与)というまとめだった。

 私が政治知識の少ない分、この本を読むのは現段階では危険な感じ(毒される可能性がある)がして買うのは控えたが、歴史的背景を知るという点においては有効な感じもしたのでちょっと今度読むかもしれない。とにかく何もわかっちゃいないので。

 それはそれとして、今回私は選挙で民進党に投票した。そうするに至った基本的な考えとしては
①政権運営能力があるのは自民党だけ ②自民党が絶対勝つ ③民進党が最大野党である ④自民党の憲法草案がゴミ

 個人的にアベノミクスには興味がなく、外交能力は疑問もあっても最悪国益が損なわれるくらいのことはどうでもいい。だが憲法改正によって人権が損なわれるのはいけない。安倍の下での改憲だけはよしておくれ!正直与党が3分の2とって発議するくらいはいいと思うのだけど、やつらは論理関係なしで議論なく数で押し切るし、それで国民投票になったら、この前のイギリスのEU離脱の件もあるから風向きによっては何があるかわからんし、心臓に悪い。それなんで、なんにも評価するところはないけど反対勢力の民進党に入れた。

 あんな憲法草案を見たらもっと自民に入れるひとは減ると思うけど、結果現在のところだいたい3分の2行くか行かないかくらいらしい、まぁだいたい想定内ではある。それはそうだろう、老人はインターネット見ないから。僕が改憲案とかみたのもインターネットだし、テレビや新聞みてるだけじゃ全く出てこない。

 だからそういう意味ではテレビと新聞しか見ない老人の意見が色濃く反映される選挙っていうのはやはりバランスが悪いなとは思うね。

 あー疲れた。無知をだいぶさらしてるけどたまにはご愛嬌。