2017年9月2日土曜日

8月33日

 本多君のブログをみていると、けっこう私が書きそうなことを書くのでゴーストライターをやってもらってもいいんじゃないかという気になってきた。
 前回の投稿からわずか半月の間に、アメリカへ行き、関西に行き、河口湖へ行き、正直詰め込みすぎという感じで、もったいない。しかしほとんど何もしない2週間もあるので、それを考えれば良かった。
 ところで僕は比較的旅行によく行く方かなと思うが、旅行が好きかというとふつうである。旅行は誰かと行くことが多いので、退屈しないというのはいい点だ。だが、時間ができたら即旅行という人がいる中で、私は人に誘われたら、というのが多い。今回の皆既日食に関しては例外で、珍しく私の強い願望が表に出た、ということになる。
 私が春から就くことになる仕事はなかなか忙しそうなので、当然、今までのように自由に旅行に行くというのはできなくなる。(なんの仕事についても、忙しくない大学院生より暇なわけがないけど)来年以降、ぼくは「学生時代に、もっと旅行に行っておけばよかった…」と思うだろうか?

 一般的に、旅は人間を成長させるものとして推奨される傾向にある。海外のいろんな国に行った人の話とかを聞くと、自分も成長したい節があるので、例えばソロ海外旅行とかしたほうがいいかなと思うこともある。しかしその度に、旅行したからって偉くなるわけじゃねえやい。と逆側からの声も聞こえる。こういうとき僕はいつも、尊敬する先人たちを思い浮かべる…。
 これは非常に勇気づけられる事実だが、世の中、事を成している人ほど忙しいものである。羽生善治先生の本を見ても、タイトル戦を戦うようになってからは旅行はいけなくなったとおっしゃっている。力士も、人によっては正月も元日しか休まないという。しかし、そういう人たちはむしろ私にとってはあこがれの存在である、求道者である。私と同い年の宇良関はこう言う。相撲界に入ってから暇だと感じたことは一度もなかったと。
 
 旅行どうこうに限らず、何かを考えるときに、ぼくは相撲や将棋の世界を引き合いに出すことが多い。世の中いろんな世界(業界)があるが、相撲や将棋の世界は一般からするとかなり特異である。しかしそれゆえに、安心する部分もある。僕たち凡人は、世の中の調子というのについ自分の心を無意識に合わせようとして疲れてしまうじゃないですか。そういうときに、いや、俺の尊敬する人たちは、こういう調子に合わせて生きてはいないぞ、というね。こういう考え方は結構ひんぱんにするんだけど、みなさんはどうですか?

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