2017年7月31日月曜日

 こうしてブログを書く以上は、できるだけ読者の皆さん方に楽しんでもらえるような内容にしたいのだが、いったいどういうのが人気なんでしょう。twitterと違っていいねもないのでよくわからないが、あまりウケを気にし始めるとオキモチ上良くないのでこのままが良いのかもしれない。
 とにかくここのところはほとんど何の心配もなく、ただゴキゲンに過ごしているため、こうして書く方も内容が薄くなってしまうというものだ。なんせ研究室のゼミ合宿の集合写真で一番前で寝そべってしまうほどである。普通はこんなことしない私である、いかにゴキゲンかということがうかがえる。
 また私にとかく付きまとう退屈のほうも、蓼科、ゼミ合宿と立て続けにあったのであまり感じないうちに7月も終わりを迎えてしまった。まぁ蓼科のことくらいしか書くことがないんで書くか。
 
 去年でやめようと思いながらも、結局今年も行くことにしてしまい、3年連続3度目の付き添いとなった。初心者から中堅になってしまった今回は、付き添いOBの中でも上から2番目の年齢で、時の流れを感じずにはいられなかった。しかし変わるのは自分だけで、山の方は何の変化もない。相手は毎年高1だし、スマホを回収された高1など恐るるにたらず、本質的には毎年同じである。つまり、バカでエロの男子、地味な男子、男子より大人びてるがなんだか恋愛脳な女子、そういうのがいろいろと集まっていて、そして全体的には優秀で真面目でやりやすい、そういうのが我が母校である。去年、おととしは「これが高校1年生というものか!」と少し関心?したところもあったが3回目ともなると特に感激もない。ついでに去年まであったような気がする蓼科ロス的な虚脱感も特にない。

 そして、こういうことを言うのもいかがなもんかと思うんだが、なんだか私やけに女子高生にモテるんですよ。なにがっていうとまぁいろいろなんすけどね…。去年もそうだったが今年もそういう風潮があって、「そういうもんか~」と本当はゴキゲンになりつつもあたしゃ冷静です。ウム、冷静よ。女の子からしてみると、先輩補正というのがありますよね。そしてスマホもない山中という非日常です。あたしも、少しはイイ男でありたいと願いつつ日々生きているが、正直、実物以上にイイ男に見られていると思うので少し戸惑う。これが蓼科マジックっつうもんか~とも思う。(注:蓼科マジックとはふつう、蓼科生活でカップルが成立することを指す用語として用いられる)

2017年7月19日水曜日

近況

こんばんは。
近頃どうにも書く意欲がおきません。少し前まではネタがわりとすんなり思いついていたのですが。
さらには読書も停滞していて、ちょいちょい読んではいるのだが途中で飽きてしまってやめるケースが多い。
一方、最近は「算数オリンピックの問題を解く」ことをたまにやっている。難易度がちょうどよくて解ける問題と解けない問題が入り混じっているのが良い。数学と違って証明に代表される厳密な論理が必要なく、答えがあっていればよかろうというのが算数なのでそこが良い。
相撲活動(やるほう)はまぁ順調で、わずかながら筋肉もついてきた感じがある。ただ、運動による爽快感は基本その日にしかなく、そこの持続性がないのが残念である。
本当は今年は蓼科に行くつもりはなかったのだが、結局今年も行くことになったので次はそれが書けるかな。なんでも今年のクラスには「けやき坂」がいるという。

7/23追記
最近読んだ中で、澁澤龍彦「快楽主義の哲学」これは面白かった。おススメ
さらに今読んでいる赤瀬川原平「超芸術トマソン」これは途中だが、超面白い。内容も面白いし、何より文体が私の理想形のひとつといえるほどに秀逸、読ませる。

2017年7月4日火曜日

類友

 最近は文章を書きたいという気分になることがあまりなく、今までだったら更新をしばらくやめてしまうところだが、数人の読者の期待に応えるべく今回も書くことにした。富樫先生は数百万人のファンを待たせているのに比べて私はえらい。

 こう言っちゃなんだが、私と非常に親密な友人、つまり、このブログを読んでいるみなさん方って、社会に対して、すんなりと適合できていない傾向がありますよね。多かれ少なかれ、人生における各ステージで世の中から要求される出来事に対して正答を続けることから少し外れるという。意図的にそうすることもあるし、そうではないこともあるでしょう。別に意識しているわけではないが、私としては優秀でまっすぐな人よりもむしろそういう人の方が付き合っていておもしろく感じるので、周りに多いのも自然なことと思う。
 翻って自分を見てみる。幸いなことに人づきあいがまぁまぁ得意なので、多くが人づきあいによって構成される社会においては、一見適合余裕みたいな顔をしているところもあるが、なにかやはり健全な社会適合者とは根本的に違う。昔はそういうことを全く思わなかったが、浪人したあたりから自分のこうした人間性が少しずつできてきたと感じる。
 人生やっていると、大小さまざまなつまづきがある。今のところ僕が年単位でつまづいたのは浪人のときぐらいだが、それは単に学力不足というだけでなく、背景にそのとき社会の歩調と合わせることをいったんやめたいという気持ちが確かにあった。
 類は友を呼ぶという諺もある。僕のまわりでのつまづきを見ていると、大学を卒業して社会に出ていくという当たり前のステップは、僕らのような人間にとっては決して簡単に達成されるものではないということを思い出す。
 就活に関しては、結果的に運よく、行きたいとこに内定をもらうことができたが、よくよく考えてみれば、よくよく考えてみなくても、1社しか受けないというのはおかしい。普通にいまだに決まっていないという可能性は全然あった。それもわかった上でそういうことをやってしまうのは、人生に対する丁寧さ、真摯さの欠如である。

 しかしとりあえず社会に出るまでのステップは、修論を残すだけとなった。研究はまるで向いていなく、詳細は省くが2年間携わったカンボジア関係のプロジェクトを外されることとなった。M1ならともかく、M2でなかなかそういうことはない。油断していたがやはり僕はこういう人間である。研究がまるでできずに大学院中退ということは可能性としてまだある。ちょっとここは、なんとか頑張りたい。

 ところでこれが、このブログの第100個目の投稿になる。細々となんとか続いてきたな~。これからもよろしくお願いします。