2017年9月25日月曜日

うまいものが食いたい!

 
 数日前から体調を崩しまして、なにかってえと食あたりであります。日本に居ながらにしてこんなことあんのかよ、Damn it!と何度ぼやいたかわからないが、原因ははっきりしている。生肉だ。

 体調の異変は時間差で来るので、原因が特定できないことが多く、今回に関しても疑いでしかなかった。だがその生肉を食べた居酒屋で同席した人が腹痛になったと聞いたので、これはもう間違いがないということである。

 過去の経験からして、この手の異変は医者から処方された薬を飲めばわりとすぐに治る。ところがどっこい、こういうときは医者に行く気力が湧かないんですねえ。悲しいことに。

 そんなわけなので自力で直そうとレッツトライ絶食アゲイン。

 この2年くらいで何度かやっているが正直上手くいったためしがなく、結局は薬に頼るのがオチなのだが、少なくとも絶食中はゲリベンが出ないのでそれはそれでいいという面がある。しかしこれも何回かやっていると慣れてくるもんである。普段の生活だと定期的な食事が遅れるだけでだいぶ空腹を感じるが、ある一点を超えると、そこからは案外耐えられる。おそらく、体がエネルギーを求める由来が、胃や腸で消化したものから、体自身に蓄えているものへ切り替わっているとか、そういう感じなのだろう。あぁまたこの感覚だナ、久しぶり、と無意味にベテラン風情もある。

 そうはいっても腹は減る。「飯テロ」という言葉があるが、普段はあまり動じない僕も、絶食中の身にうまいものの画像は目の毒である。なのにあえて見ちゃったりして、「これは精神修行だ…」と言い聞かせたり。

 こうして普段あまり私が気を払わない「食」に思いを馳せていると、やはり食べるということは大事にしたい!とシンプルな一つの結論に至った。

 混沌としたこの世の中で、価値観も人それぞれ、そもそも自分が何をしたいのかわからない…ということは常に身につきまといます。そんななか、原点に立ち返ってみれば、動物としての自分が求めるのは、うまい飯を食い、あったかい布団でぐーぐー寝る、まぁあとはいい女、とりあえずそこでしょうと。

 「食べること」に対する苦手意識もあってか、いままで食をないがしろにしてきた自分だが、もっと大事にすべきではないだろうかと。いうことに気づくわけです。食から逃げてきたのではないかと。偏食な私でも、うまいものはやっぱりうまい。これは間違いないのですから…。

 そうすると今まで飲み会でウーロン茶数杯と適当なつまみで3000円いくら出していたのも今更のようにばかばかしくなってきた。普通に料理に力を入れている店だったら3000円でだいぶいいものが食えるよ。1500円のちょっといいパスタも2回食えるよ。

 そして「誕生日になにか欲しいものある?」とお母さんに聞かれた僕は「旨い海苔をくれ」と答えるに至った。

 飯が上手い店に行こうよ。あなた、そしてキミの一番のお店を教えておくれ。こちらも一軒だけ持ってます。

2017年9月19日火曜日

年末がちらりと見えてきた

 更新が遅れてしまってどうもすみません。
 9月も半ばを過ぎました。私の誕生日は9月21日。年末まで残り101日という日らしい。
どうせなら残り100日のほうがキリが良かったが、101も101匹ワンちゃんなどに引用された由緒正しい数字なので文句は言うまい。

 9月というと、まだ夏を引きずっているという感じだ。しかし10月となるといよいよ今年も残り三カ月、ということで年末を少しずつ意識し始める。私の誕生日はちょうどその間の時期。

 以前にも書いたかなと思うが私の2017年の目標は3つあった。「就職を決めること」「国際学会で発表すること」そして「皆既日食を見ること」である。これらは8月21日をもってすべて達成されてしまった。ということで今年の残りを有意義に過ごすべく、2017年のエクストラ目標として、「毎日四股を100回踏む」「毎日開脚ストレッチをする」ことを掲げる。

 これらの目標は2017年の3大目標と異なる。3大目標が単発で達成するタイプの目標であるのに対して、エクストラ目標は継続すること自体が目標になっているのである。

 後付けではあるがこの違いは案外合理的である。まず3大目標の設定にあたってはやや低めのハードルを設定した。「達成できると思われるが、達成できない可能性もあるし、達成しないわけにはいかない」こういうラインである。結果的にうまくいった。一方、エクストラ目標はやや高めである。「100日くらいならぎりぎりできるかもしれない」そういうラインだ。1年の初めに継続目標を立てたってできるわけがないだろう。人間心理としては終わりが見えていると頑張れるということもある。それがちょうどこの時期というわけです。

 年末に向けたラストスパート感はなんだか好きで、「今年のうちにこれやっとこう」ということをできるのが一年の中で唯一できるのがその時期だ。去年も漫画や映画など、いろいろ見ないままにしておいたものをそこで消化した。消化するという感じになってしまうのがやや良くないところだが。本来まだ年末には早いが、おそらく12月はさすがに修論で余裕がないかもしれないので11月くらいを年末と思って早めにリストを挙げておくことにしよう。

〇本
・ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環
・利己的な遺伝子
・塑する思考
・大山康晴の晩節
・麻雀放浪記

〇映画
・イエスマン
・LIFE!
・日本のいちばん長い日
・ゴッドファーザー2
・アマデウス

〇まんが
・AKIRA
・幽遊白書
・からくりサーカス

 これらをすべて成仏させれば、2017年に悔いなしといったところでしょう。

 ところでついでに2018年の3大目標を考えてみた。「修論を書いて卒業する」「会社をやめない」「彼女と別れない」こちらはある意味継続系ですけど。ラインとしてはちょうどいいはず。

2017年9月2日土曜日

8月33日

 本多君のブログをみていると、けっこう私が書きそうなことを書くのでゴーストライターをやってもらってもいいんじゃないかという気になってきた。
 前回の投稿からわずか半月の間に、アメリカへ行き、関西に行き、河口湖へ行き、正直詰め込みすぎという感じで、もったいない。しかしほとんど何もしない2週間もあるので、それを考えれば良かった。
 ところで僕は比較的旅行によく行く方かなと思うが、旅行が好きかというとふつうである。旅行は誰かと行くことが多いので、退屈しないというのはいい点だ。だが、時間ができたら即旅行という人がいる中で、私は人に誘われたら、というのが多い。今回の皆既日食に関しては例外で、珍しく私の強い願望が表に出た、ということになる。
 私が春から就くことになる仕事はなかなか忙しそうなので、当然、今までのように自由に旅行に行くというのはできなくなる。(なんの仕事についても、忙しくない大学院生より暇なわけがないけど)来年以降、ぼくは「学生時代に、もっと旅行に行っておけばよかった…」と思うだろうか?

 一般的に、旅は人間を成長させるものとして推奨される傾向にある。海外のいろんな国に行った人の話とかを聞くと、自分も成長したい節があるので、例えばソロ海外旅行とかしたほうがいいかなと思うこともある。しかしその度に、旅行したからって偉くなるわけじゃねえやい。と逆側からの声も聞こえる。こういうとき僕はいつも、尊敬する先人たちを思い浮かべる…。
 これは非常に勇気づけられる事実だが、世の中、事を成している人ほど忙しいものである。羽生善治先生の本を見ても、タイトル戦を戦うようになってからは旅行はいけなくなったとおっしゃっている。力士も、人によっては正月も元日しか休まないという。しかし、そういう人たちはむしろ私にとってはあこがれの存在である、求道者である。私と同い年の宇良関はこう言う。相撲界に入ってから暇だと感じたことは一度もなかったと。
 
 旅行どうこうに限らず、何かを考えるときに、ぼくは相撲や将棋の世界を引き合いに出すことが多い。世の中いろんな世界(業界)があるが、相撲や将棋の世界は一般からするとかなり特異である。しかしそれゆえに、安心する部分もある。僕たち凡人は、世の中の調子というのについ自分の心を無意識に合わせようとして疲れてしまうじゃないですか。そういうときに、いや、俺の尊敬する人たちは、こういう調子に合わせて生きてはいないぞ、というね。こういう考え方は結構ひんぱんにするんだけど、みなさんはどうですか?