2018年3月31日土曜日

楽しみ

 最後の春休みで一か月半も書けずに、このブログ自体も学生時代の思い出として終了しようかとうっかり思ったりしてしまったが、もしかすると書くことが自分の支えになるということもあるかもしれないと思うので、やっぱり月2くらいのペースで更新することを努力目標としようと思う。肉体労働者の手記をお楽しみください。

 これからの生活は多くの時間を労働が占めることになるが、「これのために頑張ろう」というような楽しみがあった方が良いと思う。しかし、常々感じることではあるが、自分は何かをしていて心から楽しいと思うことがあまりない。どこかでうっすら白けている。

 「楽しい」というのはかなり分かりにくい感情だ。喜怒哀楽といっても、喜怒哀に並べて良いほどのものなのかと思う。まず「楽」と「楽しい」も違うし…。クラブで遊んで楽しい人もいれば、部屋の中で絵を描くことが楽しい人もいる。その楽しさは同じように括ってしまえるものなのだろうか。楽しむことが当然とされるような場所で、この楽しさは本当に心からのものか?と問えばイエスと言えないというのは珍しいことではないだろう。

 僕は「お笑い」が好きだが、その理由を考えてみると、「お笑い」を見て爆笑をするときにはその感情に疑問をはさむ余地すらないということがある。現に笑っちゃってるし。
楽しいより面白い(笑いをともなうやつ)のほうがよっぽどわかりやすく追及できそうだけど、あまり重要視されてないように思えるのは、笑いというものが人と人との会話の中であまりにもありふれた存在だからでしょうか。