2017年10月6日金曜日

10月6日の投稿

 イレギュラーな投稿をしてしまったがために、結局1週間ほど遅れてしまった。意外と2週間に一回というリズムが体に浸み込んでいるかもしれない。いずれは1週間に1回のペースにしたいと思っているのだが。

 今住んでいる家から駅までのルートは2通りある。大通りを通るルートと、住宅街の間を縫っていくルートだ。この家に住んでから半年くらいずっと同じ大通りルートを通っていたが、住宅街ルートを見つけてからはどちらかというと後者をよく使うようになった。厳密にいえばこの住宅街ルートは昔、家族で今の祖父母の家に行くときに、(普段は車で来るところを)たまに電車でくるときに使っていたのだが、大通りと比べて目印がはっきりしないため、方向音痴な私は一人で来るときは簡単な大通りばかりを歩いていたのだった。

 取り立てて語るようなこともない道だが、この前いつものように歩くときに、まわりの景色に注意を凝らしながら歩いてみると、意外と見ているつもりで見ていないということに気が付いた。
 僕の通る道はとにかく電柱が多い。しかし電柱ひとつとっても、それぞれに違うものである。上の方になんか機械がついているもの、電灯を兼ねているもの、上が細くなっているもの、登るための足場がついているもの、いないもの、少し曲がっているもの、車ガードのような鉄板が巻かれているもの、などなど。学部1年か2年ぐらいのときに学科の課題で電柱を描いてくる学生がいたが、今になってなるほど確かに電柱道奥深しと思うわけである。
 毎日歩いている道でも意識しないと見逃していることばかりである。見ようとしないと見えないというのは当たり前のようであるが、実際には見たつもりになっているということが多いのではないか。絵の上手い人や、フィクションを書ける人というのは、同じ世界の中にいても見ているものが違うのだろう。しかし昨今じゃどこにいてもスマホばかりでまわりをじっくり見ている人などいない。上を向いて歩いて、突き抜けましょう。 

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