2016年4月14日木曜日

書き言葉の難しさについて頑張って書く回


今日はテーマ上、放り出さずに頑張って書きます。余計なことを考えずに、丁寧に書きます。

私はしゃべることに関してはかなり好きで、わりかし得意なところでもあります。

しかし、ご存知の通り、このブログがなかなか更新されないように、書くことに関してはあまり得意ではなく、さらに言えば、好きでもないと言えます。Twitterでも、3行以上の投稿をすることはめったにありません。

なぜだろう。

まず一つ、思いついたのは、書き言葉における情報量の少なさです。やはり、人に対して実際に話をするときには、トーンや間、その他の非言語情報を使っています。これは無意識的ですが、よく考えると、たぶん私はこういうことを多用している、あるいは頼っている方ではないかと思います。それに対し、書き言葉では「内容」そのものが非常に重要になっている。そこで、人に話をしているときのように書こうとすると、いつも使っている「テクニック」のようなものが使えなくてもどかしい、そういうことになって筆?が進まない、というわけです。

二つ目は、書くことは一方通行であるということです。話すときは相手方がいるので、「会話の流れ」というものがあり、その一つ一つは、しばしば、短い。だいたい私は、「返し」に特に重点をおいているので、発信し続けなければいけない執筆はなかなか難しい。私には言いたいことが何もないのだ。

次はみっつめ。だんだん雑になりそうなので気を引き締める。
書くことの最大の問題点、それは「残る」ということです。「残る」ということは、人目に触れるということと、自分の目に触れる、この二つの可能性がある。常に誰の目に触れるかということを意識して書くから、なかなか自由には書けない。たとえ誰が見なくとも、最後には自分がいる。しばしば、Twitterを書きかけて「これは…何が悪いわけではないが…なんかキモイな…」ということがある。「なんかキモイ」感覚は、同じことを書くのでもブログ書くなら大丈夫だったりするので解析が難しい。やはり、誰に見られているかというところが大きい。しかし、だれにも見られないという前提で書く日記も、そういう感覚から自分にブレーキを書ける。手書きだと、なおさら生々しくて、キモさも増すものである。

とりあえず以上の三つということにしておく。いつもならここでやめて風呂に入るところだが、今日はもう少し書こう。

特にTwitterのような場で、私が気にしてしまうのは「著名人呼び捨て・さんづけ問題」です。
昨日のテレビで水野しずさんという人が出ていて、それがなんとも良かったので、つぶやこうと思ったのだが、「呼び捨て」にするか「さんづけ」にするか。この問いが私を阻みました。

「呼び捨て」。これはどうだろう。私のような一凡夫、しかも相手より年下の人間が、呼び捨てにして偉そうに何かを物申す筋合いはあるのか。しかもその相手もTwitter上にいる。何かのはずみで相手が見ないとも限らない。そうなると手は動かない。(呼び捨ては、話し言葉の上では何ら抵抗はないのですが)

では「さんづけ」をするか。こっちはこっちで、どうも違和感がある。やはり話し言葉だと呼び捨てなのでその感覚の延長があるからだ。お前はなんだ、知り合いなのか、という感じもないではない。やめだ、やめだ。

そのようなわけで、もやもやしたのでこういうブログを書くに至ったのであった。

というわけでそう、水野しず、いや水野しずさん、ここではわりとどっちでもいい、この人がテレビに出ているのをみて私はなんだか変に笑ってしまったり、感激したりしたのだ。この感じはとにかく何とも言えないのだがとにかく心を打たれたのは事実である。会うのはちょっと恐れ多い、が、テレビではもう少し見てみたい。ちなみにFacebookは友達だ。

ふむ、なんてことはない、これだけのことを書くことすらTwitterではできないのです。私は。
しかしブログは自由に書かせてくれる。前置きはずいぶん長くなってしまったが。

以上である。ところで著名人でも、外国人、あるいは力士は平気で呼び捨てしますね。

それともう一つ、書くときは、ですます調とだである調の統一が私にとってはとても難しい。

2016年4月9日土曜日

メモ的投稿

おばんです。

春に…なりましたね。桜もちらちら散って、新緑ちょぼちょぼ

年度も変わって、新年度。わたしもなにやら新入生、形ばかりの新入生

どうにも本は、読む気が起きない。食欲は、ふつう、体調は好調

わりと、暇がある

映画はすこし、積極的に観ている

この時期は何かと飲み会が多かったが、ピークも過ぎ

あたらしく始まった、とと姉ちゃん、は面白そう

夜更かしが多い

今日はここで終い!ブログ書くのもさぼりすぎると書けなくなっていけませんね。