2017年3月31日金曜日

3月後半


 年度の変わりは年の変わりに比べると、もやっとした感じで切り替わるので(新年はパリッと)、まして環境に変化のない今年は気持ちのもりあがりは大してないが、とにかく2016年度がお終いです。研究室の中でも上の学年になるということで少しありがたさがある。早速席決めに際しては権力をふるわせていただいた。

 ところでこの2週間は何となく長く感じた。挙げてみればボートの聖地天竜に初めて行ったり、その帰りに初めて切符を切られたり、報告書を書きまくったり、卒業生を送り出したり新入生を迎えたり、照ノ富士が変化したり、稀勢の里が怪我をしたり、稀勢の里が優勝したりとなかなかたくさんあった。いろいろ書こうとすると失敗しますからどうしようかねぇ。

 時期も時期であるし、しかたないので就活の話でもしましょう。年度末だし、自分語りを聞いてくれ。現在私は就活らしい就活をほとんどやっておりませんで、一社のみを受けている最中であります。説明会も全然いってないという有様である。本当に、エントリーシートをたくさん書いたり説明会に行ったりOB訪問に行ったりしているまわりの人をみて、なにやら申し訳ないような気恥ずかしいような気持ちもあるが、ここは自分を貫くのみである。個性的であることは孤独だと誰かも言っていた。

 かねてから「普通」からの逸脱を志していた(ださい!)私も気づけば、なんだか普通から外れてきてしまったようです。しかし別に初めからこうしようと思っていたわけではなく、自然とこういう風になってしまった。
 現在受けている会社は大工を育成する静岡の建設会社です。私は大工を目指そうとしている。自分で書いていてほんとかよ、と思わないでもない。

 別にもともと大工を目指そうとしていたわけではない。きっかけは去年の12月に私が「出なかった」ある授業について特別講師が来た時に、出席した人に「どんな人が来たの?」となんとなく聞いた。その講師は早稲田の建築をでてしばらく大工をやって、今はなんかの設計をやっているような人だったという。そこでなるほど、大学でて大工という選択肢もあるのかぁ、ふーん、どうやってなるんだろう、飯食っていけるのかな?と思って「院卒 大工」などとネットで検索して引っかかったのが今志望している会社である。見てみるとなかなか面白そうな会社だったのでとりあえずインターンに申し込み、1月に1泊のインターンに行き、3月上旬の1次選考に通って、2次選考を待つ身が今。

 なぜその会社しか受けてないかというと、そのインターンで出会った社員さんが2人も「ここしか受けなかった」と言っていたので、フムそういう気概とおおらかさが大事かと思って、あと他に興味のある会社もないし、面倒なのでこうしている。さらに他にも、芸大卒のある社員さんはなんと卒業式の一週間くらい前に会社に初めて連絡をとりそこから入社したという話を聞いて、その社員にしてその会社ありという気持ちがある。なんだか誰でも入れそうな気がしてくるが、実は結構な倍率らしく、正直安パイというわけでは決してないのだが、もう気合いである、気合い。1次選考にもちゃんと人いたし。さしもの私も受けた後は生きた心地がしなかった。

 まぁ世の中いろんな人がいますよ。人生に対する見方は思っている以上に多様であると思う。だがまわりはものすごくちゃんとした人だらけで、ちゃんとした人たちがやるようにやっていかないと生きてゆけないと思いがちだが、そうでもないはずだろうと。大工なんて中卒でもなれる仕事だと言われるけど、やってみたくなっちゃったんだから仕方あるまい。だが思うよ、多分初めに普通のサラリーマンになってしまったら後から大工になるのはかなり難しいと。いろんな意味で身軽である今しかなれないんじゃないかと。私に出版社を進めてくれる友もいるが、私の中ではそのへんは「ホワイトカラー」の仕事で全部一緒くたで、ある意味では例えば設備設計の仕事と変わらない。(=今のところ魅力を感じない)
 金銭面はそんなには貰えないと思うけど、若いうちはあまり貰えなくても構わないと思っている。そしてどういう道を通っても、新卒で大きい会社に入らなくても、自分に力があればいずれの日にか稼ぐようになるものだと思っている。そして自分はその力はあると思っている。だから問題ない。だめだったらそれまでの話である。

 軽く生きたい。

 私が最も憧れるのは、昔赤塚不二夫の自伝かなんかで読んだ赤塚の中学時代の友達の話である。
 中学を卒業した赤塚が高校から帰っていると、その友達が土手で寝っころがっていた。高校はどうしたと赤塚が尋ねる。すると友人は怪訝な顔をするばかりである。なんとその友人はそのときまで日本に高校というものがあることを知らなかったという…。
 
 このエピソードを初めて読んだとき私はたまげた。こんなやつがいるのかと。だがその友人ものちのちにはだいぶ出世したらしい。私もかくありたい。

2017年3月15日水曜日

3月前半

 自分のなかでバランスをとることについて。
 
 「酒がなくて何が己の人生か」みたいな古い言い回しがあるということを最近知ったんだけれども、ここまでいかないにしても、お酒を飲んでストレスを発散するという人は少なくない。お酒の楽しみがまるで分らない私にとっては、ちょっとうらやましいと思う。
 酒にかぎったことではない。いわゆる、酒、たばこ、博打、女遊びのような「飲む、打つ、買う」(また昭和くさいけど)とか、そのあたりも含め。これらは昭和的で、最近では趣味も多様化しているからみないろいろなことで発散をするが、やはり「酒もタバコもまったくやりません、etc..」というのは堅物の印象がある。
 まぁ他人からの印象は別にどうでもいいんだが、酒を飲むことが歴史的に見てもワールドワイドに広く支持されていることを考えると、人間の大人にとって酒を飲むということはかなり「必要」なことなのだと思う。酒を飲むことによってなにか精神的なバランスをとっていくと。
 さてそうした中で私は、学生時代よりさらに大変なことが待ち受けているであろうこれからの人生で、どうやって精神的なバランスをとっていくかということである。
 子供は酒を飲まない。が、「飲まなきゃやってらんねえ」という子供は見ない。当たり前である。当たり前なんだけど、仮に飲めたとしてもやっぱり子供に酒はそんなに必要ないんじゃないかという感じがする。これには3点ほどの重要な点があると思う。①基本的にはストレスの量と質が大人に比べて少ない、低い。②日々新しい経験をするので、それだけで面白い。③体育や部活で定期的に体を動かしている。パッと思いついただけで、まるで無根拠ではあるが、わりといい線いってそうではないだろか。
 酒を飲めない私は、子供のように生きていかないといけないかもしれない。まずストレスを減らしましょう!簡単じゃないよ、とほほ。日々新しい経験をする!これが一番難しいだろうよ。どうしたっていろんなことに慣れてしまうさ、無理。せめて本でも読んで新しい考え方に出会えるといいですかね。運動をしよう!まぁやっぱりこれ大事だよね。食欲も出るし、夜もよく眠れるし。でも元気でないときって運動できないよね。それが一番の問題。あと、運動した後のビールが最高!の人に、負けるわ。
 まぁそんなとこです。
 以下、3月前半に読んだ本、まんが、雑誌。
「ゲゲゲの鬼太郎①妖怪大裁判」水木しげる
「この世界の片隅に 上」こうの史代
「言葉を離れる」横尾忠則
「木のいのち 木のこころ」西岡常一ほか
「詩と科学」湯川秀樹
「Number PLUS 疾風!大相撲」
「人間における勝負の研究」米長邦雄

ちょっと読む量が多くて飽和気味を感じる。

3月前半に観た映画
なし

2017年3月1日水曜日

3月1日

 早いもので、3月になりました。前回の投稿が半月前だったのでだいたい2週間くらいぶりか。これくらいのペースが一番やりやすいのではないかと思うので、これからは月のはじめと真ん中くらいに書くことを心がけてみたい。読者諸君にとっても、その方がわかりやすくて良いでしょう。
 さて、3月1日といえば就職活動がどうのこうの、どうのこうの、どうにも避けて通れない世間であります。しかしあまり深刻にならずに、なんとかやっていこうと思うよ。みんなもなんとかやりましょう。これについて書くのはよしましょう。今のところは。

 ところで2月の頭に買いだめした本は大方読み終わり、今年に入ってから導入しているまとめ買いシステムはどうにかうまくいっていると言える。ちなみに2月度購入の本は以下でした。
『将棋の子』大崎善生
『宇宙からの帰還』立花隆
『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー
『蜜蜂と遠雷』恩田陸
『〆切本』左右社編集部
『相撲 初場所総決算号』(雑誌)
『獄中記』佐藤優
『ま、いっか。』浅田次郎
これらに加え、月の途中に買ったのが、
『笑いのカイブツ』ツチヤタカユキ
『popeye 3月号 二十歳のとき、何をしていたか?』

 これら、購入した書籍のなかでは『〆切本』以外はどれも読み終わり、しかも大変に面白いものばかりであったのでありがたい。本当にありがたい。こうしてふり返ってみるとひと月の間でも色々得られるものですな。
 本来であればすべてに対してレビューしていくのが理想で、そうすることによって読書も深まると思うんだが、そこまでストイックにはなれないので、現実的なところで一つだけ、2月の最後に読んだ『蜜蜂と遠雷』について少しだけかく。
 そもそも『蜜蜂と遠雷』は、「ご本、出しときますね」というテレビ番組で朝井リョウが「これは直木賞とる!」と熱弁しているのを見て初めて知った。それで気になっていたのだが、本当に直木賞をとってしまって、本屋でも目立つところに置かれるようになって、私としても買わねば、と買った。
 この本は装丁がまたきれいで、帯に金文字、さらにカバーを外せばつやっつやの黒に白文字のタイトル、しおりの紐も真っ黒で編集者のこだわり、熱い思いが感じられて期待がおのずと高まる。(ところで、私は何度覚えても「装丁」の読みを「そうちょう」と迷ってしまうのです。そういうのってあるよね)
 さてさて、この本の内容は「ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説」(帯より引用)である。なるほどこの本のそーてーは、ピアノをイメージしていたのかと妙に納得である。
以下、もう疲れてきてしまったので「源泉かけ流し」的感想
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 まぁ面白かったが、感覚理解するのムズイ。音楽の違いとか判らんし。途中なんかずっと音楽の描写でちょっときつい。まぁ本だから実際に聴いてもわからないようなことがイメージできるようになってて逆にすごいけど。そういう音楽感覚ほしいな。昔ピアノを拒否せずにあのときもうちょいやっとけば?映画で見てみたいけど細かな音楽の違いとか表すのむずそう、セッションみたいな感じだったらいいけど日本映画だとなんか安っぽくなっちゃいそう
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 失礼いたしました。もうだめだ。(以下の文章は上の感想より前に書いたもの)

 なんだかこのブログも読書関連の投稿が多くなってきているような気がする。しかし最近、少ないなりに読んできた本や観てきた映画が自分の価値観、人生観の1割か2割ぐらいを作っているのではないかと思う。そう思うとうれしさがあるし、やはり生活の一部として続けていきたいと思う。逆に、吐き出す文章のほうも、読書あってこそという面もあるから、まぁ仕方ない。
 読書のはなしついでに、今日は3月の初日ということでまた池袋ジュンク堂書店で本をまとめ買いしてきた。だいたい今回はこれを買おう、とamazonの欲しいものリストを仕込んでおくが、実際に選ぶのはその場の気分優先で、このあたりが本屋で本を買うことの醍醐味である。ただamazonの欲しいものリストに入れている本があっという間に100冊を超えてしまったので、こちらをすこしずつ片付けることを当面の目標としたい。