2015年8月14日金曜日

 学校近くを歩いていたら、おばあちゃんと、その孫らしき男の子、女の子、3人で歩いていた。
セミの声がじいじいうるさいと思ったら、男の子の手にセミがいた。
「おいおい素手でセミとはさすが子供、やるわい」
とよく見たら、両手にセミを持っていた。
「両手に花ならぬ、両手にセミか、」
と思って女の子のほうを見たら、この子もセミを持っていた。
「やれやれとんだおてんば娘じゃわい」
と反対の手を見ると、やっぱり持っていた、セミを。
「女の子でも虫が大丈夫な子は大丈夫なんだなあ、子供はすごい」
と感心した。
そうして、ふとおばあちゃんを見ると、なんとおばあちゃんまでセミを持っているではないか。
「こんなことってあるだろうか?」
しかしおばあちゃんは片手だけに持っていた。
3人と5匹。恐るべきセミ一家。セミは絶望の声を張り上げていた。

2015年8月10日月曜日

一日中家にこもっていたのでこういう内容


 このブログも始めてから気づけば3年弱が経った。当時大学1年生で20歳になったばかりのぼくは、漠然と「日本一になりたい」と宣言したのを覚えている。何の日本一とは言わないが、とにかく言った。なかなか若者らしい。しかしどうやって、なにを日本一になるかがまったく思いつかなかったので、代わりにブログを開設した。

 このブログを書き始めたころは、ちょっとおもしろいことを書いてやろうと意気込んで、なかなか更新ができなかった。しかもべつに面白くもない。ここ最近では自分の考えたことをそのまんま、書いているが、ほとんど読む人のことは想定していない。ただ言葉の使いかた、文章の流れは少し気にしている。

 最近になって、ようやく継続したからこそ見える面白さが出始めた。なんだかこう、「型」のようなものが自然とでき始めたという感じだ。たぶん、毎日書いていたら3カ月くらいでたどり着いた境地である。

 ほんとうは毎日続けて、何かもっと変化や気づきや成長に出会いたいと思う。しかし、Facebookに毎日欠かさず2年ぐらい投稿している後輩が、いっこうに面白くもならず、平均して0.2いいね!くらいしか来てないのを見ていると、なんだかばからしくも思える。

 たぶん、今のように自然に吐き出すことだけを続けていると、ある時点からは変化がなくなるのだと思う。毎日練習して、やっと自転車に乗れるようになって、毎日乗り続けても競輪選手にならないのと同じように。

 今はやっと自転車に乗れるようになって、乗ることそのものを楽しめている時期なのだと思う。

 実は意外と、読んでくれる人の存在が励みになっているので、今後ともよろしくお願いしますね。

2015年8月9日日曜日

鮮度


ブログを調子よく更新している時期は、1日に数個のネタが思いつく。しかし1日に1投稿までと決めているため、使わなかったネタは翌日以降に書こう…と、タイトルだけ下書きに残しておくことがしばしばある。

そうしてここ数日に3件の下書きがたまったが、どうも書く気が起きないんである。まあそういうものだ、ネタは鮮度が重要、鉄は熱いうちに打てという。

本もそう。僕の場合、一度に2冊以上買うと、初めに読み始めたもの以外はなかなか読まない。よめない。これも読みたいという気持ちの鮮度だ。なので最近では1度に2冊以上の本を買わないようにしている。

また、一冊の本は、一気に読み切らないとダメなようだ。だから長編、あるいは何冊にもなっている本が読破できない。司馬遼太郎は、坂の上の雲も、菜の花の沖も、4巻で挫折した。

そうすると、必然的に比較的短い、短時間で読める本を選ぶようになってくる。このような本選びをしていると、次から次へと買わなくてはいけないし、読みたい本というのはそう簡単に見つかるものでもないので、読書量が減る。

自分にとって少し難しい、長い本を時間をかけて楽しめるようになってくると人生のステージが上がる(といいな)。そのような暇つぶし能力があることを教養という、と誰かが言っていた。

高校生のころは今より読書体力があって、カラマーゾフの兄弟(5巻)を退屈なりに読破したりできていた。受験勉強からの逃避でもあったけど。

2015年8月4日火曜日

アイドリングの極意


つくづくぼくは集中力がないと思う。が、取り組まなければいけないことは他の人と平等に

あるので、ないなりにごまかしごまかしやってきた。

本当にせっぱつまったときは、尋常ならざる集中力を発揮して乗り切ることができるが、

これはいわば、火事場の馬鹿力のようなものであって、自分でコントロールできるものではない。

何度か自分でそのような力を発揮できないかと試みたことがあるが、たいていは

「やらなくてもいい理由」に負けて終わる。意外とやらずに乗り切れるということがあるものだ。


ぼくは結構研究室にいる時間が長いほうだが、一日のうちで集中して作業に取り組んでいる

時間は1時間に満たないのではないかと思う。それならば、研究室に1日1時間だけ来れば

いいのではないかと思うのだが、そうはいかないのが現実だ。作業に取り掛かる前に、

なんとなく心の準備運動のような時間が必要なのである。この時間をアイドリングと命名した。

このアイドリングの間には他のことをしてはいけない。何もしないことが重要だ。

この無駄な時間が自分には欠かせないものだと思っている。

やはり、無駄な時間は大切ですよ。

同様に、世の中にも排除するべきでない無駄というのが多くあると思う。


2015年8月3日月曜日

大逆転裁判をクリアしたわけだが


ここ2週間ぐらい放っておいた大逆転裁判、最後の章にきょうやっととりかかってクリアした。

まぁまぁ楽しかったが、探偵パートでは話を追うばかりで、さらに登場人物がいちいちもそもそ

動くので、なかなか進まずもどかしいと感じた。前のシリーズもこんな感じだったか?

結局Aボタンを連打し作業のようにゲームをこなしていた自分に少し悲しくなった。


しかしぼくのほうにも問題がある。ゲームはそもそも暇つぶしにやるんだからゆったりと

楽しめばよいのだ。それをちょっと心が忙しいときにやるからいけない。


ただ、これは自分が大人になってきたということかもしれない。暇つぶしにしても、

もう少し知的好奇心を満たしたいというこころが、どこかにある気がする。


たぶん、しばらくゲームは買わない。ドラクエ11はやりたいと思っている。



2015年8月1日土曜日

高校生クイズの思い出


高校1年のとき、高校生クイズ(の予選)に出た。

西武ドームに大勢集まって、○×クイズに挑んだ。

7問中2問のみ正解という不名誉な結果を残して僕たち3人はドームをあとにした。

年によっては1問間違えたその時点で敗退という場合もあったようなので、

7問解かせてもらってラッキーと思った記憶がある。

2年生からは高校生クイズに出場することはなかった。


今年の高校生クイズではぼくの母校が東京代表で本選に出場するらしい。

こういうのはうちの学校は苦手で、だいたい開成か筑駒と思っていたが…。

がんばってくれ!