2016年12月20日火曜日

頭の良い人は

 昔の科学者はよく随筆、エッセイを書いていた。一般的にはあまり知られていないが、たとえば寺田寅彦というのはその代表格で、夏目漱石とも親交があった人物である。岩波文庫から「柿の種」という随筆集が出ているが、これは私の人生のなかでも特に好きな本の一つです。ああいう文章を書いてみたいと思って、このブログを書いている。

 頭の良い人の頭の中をのぞいてみたいということをつねづね思っていて、エッセイを読む行為はその一つであるような気がしている。専門的なことを専門的に語るわけではなくて、普通の風景をみて、私では見逃してしまうような切り口でものを見ている、それを教えてくれるのがエッセイで、特に科学者が書くものは一味なにか違ったものを感じる。

 そんな私が大喜びするようなシリーズが刊行されている。平凡社からでている「STANDARD BOOKS」というものです。興味のある人は調べてみてほしい。いろんな科学者のいろんなエッセイが素敵な装丁で読める、あ~なんと素晴らしい。企画者に大感謝したい。

 それで今は、ノーベル物理学賞も受賞した朝永振一郎先生のを読んでいるのだが、ちょっと今回はそちらの文章をここに打っていきたいと思う。これが本題です。(意外とここまで長くかかってしまった)前々からこういうことをやりたいと思っていたのだが、なかなかやらなかったのだが、基本的には自分の文章の練習と、よく文章を咀嚼したいからです。でわ

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 なまいきというのは、年の熟さない者が、年うえのものの口つきや動作やなんかのまねをして、しかしまだ何となく幼くて、いくらかちぐはぐな感じがする、そういう感じをあらわすことばのようである。その場合、その口つきや動作が、そっくりうまくまねされていればいるほど、なまいきさは心にくくなる。
 男の子が成人に近づくと、なまいきな手つきでタバコなどふかすようになる。シガレットケースをパッとあけて、紙まきを一本おもむろにとり出し、次にそれを口にくわえ、ライターをカチッとおして、それに点火し、次に、ひとさし指となか指とでそれをはさんで支えながら、一息ふかく烟を吸う。すい終わると、タバコをはさんだまま手くびを外がわに、ななめ上に回転させてそれを口からはなし、そして口からフーッと烟をはく。灰をおとすときには、ひとさし指となか指とではさんでいたタバコをなか指とおや指にはさみかえ、そうして、自由になったひとさし指で、タバコのあたま近くをポンとたたく。まだ子どもっぽさがほっぺたに残っているような顔をしているくせに、こういう動作を心にくいばかり適切な速度と適切な間を以て行なうので、それは大変になまいきに見える。
 なまいきという感じがおこるのは何も人間の場合にかぎらない。ある種の動物にもそういうのがある。
 一昨年あたりから、毎年春になると庭の池におびただしい数のおたまじゃくしが生まれる。だんだん日がたつと、しっぽが消え脚がはえ、親と相似形の蛙になる。すると彼らは水の外にはい出して来る。二、三日は、池のふちの煉瓦の影や、水はけ口の日あたらぬあたりに、まっ黒くひしめき合って動いている。この、かたまって群をなしてうごめいている姿は、うっかりさわるとつぶれそうに弱々しく、一向になまいきではないが、ためしに二、三匹そっとつまんで金だらいの水の中に放ってみると、とたんに、すいすいとたっしゃな蛙泳ぎをする、そのなまいきさ。水の中に石を入れて陸地を作ってやると、そこに泳ぎついて、のそのそと上陸し、陸地の一ばん高いところにたどりつき、小指のさきほどもない小さなやつが一かどの格好で、両手をついてうそぶいている。このとき、ちょっとおしりをつついてやると、ぴょんととんで水中に飛びこんで、すいすいと泳ぐ。まさにおや蛙の動作そっくりである。


(一章まるまる写そうかと思っていたが、ここで挫折しました)

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