2018年4月24日火曜日

よくわからない

 私の最近の生活をかいつまんで書くと、

5:30 起床、朝ごはん
6:40 家を出る、出社
7:00 会社から現場へ移動
8:00 労働開始
17:00 労働終了、後片付け、会社へ戻る
18:00 帰宅
22:00~23:00 就寝

 だいたいこのような感じである。今は現場が会社から30分ほどでわりと近いが、これが遠いと朝は早くなり、夜は遅くなるので大変だ。
 朝早く起きるのは慣れたので苦ではない。夜は10時を回ると眠くなる。こんなに早く寝る生活はおそらく小4以来だ。
 仕事はこれまでのところ、まだ暑くないのと、段取り的にそこまで肉体的にきついことをやっていない。ただ、めちゃめちゃ怒られる。怒られるのは嫌だが、トータルの生活としては「ふつう」という感想だ。夜の自由にできる時間は少ないが、そもそも時間を持て余していたので、そんなにやることもなく、まぁいいかと。
 仕事はまぁ何もわからない赤ちゃんレベルなので楽しいということはなく、ただその場その場をしのぐばかりだ。うれしいのは午前と午後に30分ずつの一服タイムが挟まることである。
 仕事が大変だからといって休日や仕事以外の時間が大好きかというとそれはそうでもない。休日自体はうれしいが、やはり仕事あっての休日の幸せということを思う。
 よくわからないというのは結局自分はどのように時間を過ごすのが好き、あるいは嫌いなのかということだ。最近よく考えるのは、「怒られながら体を酷使して(賃金が発生)」のと「先の見えない研究テーマを模索する(賃金発生なし)」のどちらかを選ぶとしたら、なんだかんだで前者を選ぶのではないかということである。さらに言えば、「そこまで怒られないデスクワーク(賃金発生)」と比べるとどうなのかということになるが、こちらは放棄してみた結果が今である。後悔は現時点ではないけど、とにかくよくわからないのは、自分が今現在の生活が好きなのかそうではないのかということで、何か自分の感情にふたをしているのではないかという気もする。



2018年3月31日土曜日

楽しみ

 最後の春休みで一か月半も書けずに、このブログ自体も学生時代の思い出として終了しようかとうっかり思ったりしてしまったが、もしかすると書くことが自分の支えになるということもあるかもしれないと思うので、やっぱり月2くらいのペースで更新することを努力目標としようと思う。肉体労働者の手記をお楽しみください。

 これからの生活は多くの時間を労働が占めることになるが、「これのために頑張ろう」というような楽しみがあった方が良いと思う。しかし、常々感じることではあるが、自分は何かをしていて心から楽しいと思うことがあまりない。どこかでうっすら白けている。

 「楽しい」というのはかなり分かりにくい感情だ。喜怒哀楽といっても、喜怒哀に並べて良いほどのものなのかと思う。まず「楽」と「楽しい」も違うし…。クラブで遊んで楽しい人もいれば、部屋の中で絵を描くことが楽しい人もいる。その楽しさは同じように括ってしまえるものなのだろうか。楽しむことが当然とされるような場所で、この楽しさは本当に心からのものか?と問えばイエスと言えないというのは珍しいことではないだろう。

 僕は「お笑い」が好きだが、その理由を考えてみると、「お笑い」を見て爆笑をするときにはその感情に疑問をはさむ余地すらないということがある。現に笑っちゃってるし。
楽しいより面白い(笑いをともなうやつ)のほうがよっぽどわかりやすく追及できそうだけど、あまり重要視されてないように思えるのは、笑いというものが人と人との会話の中であまりにもありふれた存在だからでしょうか。

2018年2月19日月曜日

Bongiorno!イタリアより

 すっかり忘れていました。今、イタリアにいるもので…。

 修論が終わってから一回も投稿していないとは、怠慢でした。2月になってからは生産からは遠い、消費ばかりの生活をしている。
 旅行にくると習慣が乱れる。思えば、この3ヶ月くらい寝る前にはほぼ欠かさずにストレッチを行なっていたのだが、旅行に来たとたんにやらなくなってしまった。帰ったら再開するか、しないか。だいたいはしない。こうやって消えていった習慣が過去にもあったと思う。旅行のデメリットである。
 今は旅行に来てだいたい1週間だが、ずいぶん長く感じる。まだ半分弱残っているが、今帰れと言われてもいいくらいには満喫した。イタリアに来てみてわかったが、とにかく観光客が多い。たまに、観光地には行きたくないという旅慣れた人がいたりするが、そういう人の気持ちもわかる。観光客とものを売る人しかいないと、テーマパークに来ているようである。ただ、やっぱりモノホンの建築は迫力がすごい。こういうときには自分はやっぱり建築が好きなんだと思い出してすこし嬉しいものだ。できるならば、空間を独り占めしてみたいと思う。叶わぬ願いだが、朝早くに行くと人が少ないのでそれだけでもちょっと違う。あまり待たずにすむし。

 前々から自問することがあるが、自分は旅行が好きかというと微妙なとこではある。嫌いではない。いうならばかなり上等な退屈しのぎというところか。旅行は普段見ないいい景色や建物を見ていつもよりうまいものを食うことを自分に「強いてくれる」。あとは特に海外ならば人との交流が刺激的であったりする。現実を忘れさせるという側面もあるかもしれないが、私には今忘れたい現実はない。
  少なくとも家でふさぎこんでるよりはいいし、思い出にもなるには違いないのだが、出費に見合うのかというとよくわからない。自分は楽しむのが下手だろうか。


2018年1月28日日曜日

休載の代わりに

メモ帳を漁っていたら、相撲雑誌に投稿しようと思って正月に書き、結局送らなかった文章が残っていたのでここに載せることにする。
----------------------------------------

再認識した相撲の魅力

最近は「土俵外」のニュースばかりで疲れていた。そんな大晦日に、「朝青龍を押し出したら1000万円」という、8人の力自慢が元横綱朝青龍に次々に挑むという企画のネット番組が放送された。こういう気楽なのもいいな、と軽い気持ちで見ることにした。

格闘家のボブ・サップさんや、五輪銀メダルの泉浩さんなど、個性的な挑戦者たちが元横綱に挑んで行った。それなりに面白かったが、残念ながら勝負というほどのものではなかった。

最後に登場したのが、力を残して引退した元大関の琴光喜。そこで朝青龍はそれまで着けていた稽古まわしから、現役時代と同じ黒の締め込みに変えた。

それから空気が明らかに変わった。一つ一つの所作を噛みしめるように丁寧に行う2人。これが本当の相撲だというのを見せてやろう、と確かめ合っているようであった。

勝負は元横綱に軍配があがったが、2人の相撲ぶりは現役時代を彷彿とさせる、それまでの「試合」とは全く違う美しさがあった。相撲は1人では取れず、2人の力士がいて初めて相撲になるんだと、そんなことを思った。

予想外のところで、忘れかけていた相撲の魅力を思い出させてもらった気がした。横綱、大関、ありがとうございました。

2018年1月24日水曜日

2018年1月6日土曜日

新年あけまして。

  2018年を迎えました。本当は大晦日に2017年を振り返る投稿をしようと思っていたが、「朝青龍を押し出したら1000万」を見ていたらあっという間に年をまたぐこととなり、それからまたあっという間に3が日も超え、気づけば5日。あっという間、あっという間の連続で参ってしまいます。さすがにもう2017年を総括する気にもならない。

 年末・年始はだらけにだらけ、もちろんその前後は修論に追われて、非思索的な毎日を送るばかりである。あまり刺激的なこともなかったが、地元で新年会があった。

 去年の一年を除けば僕は生まれて以来ずっと地元からでていないが、中学校受験をしたので地元の友達とはあまり縁がない。それが2年くらい前にたまたま昔の塾の友達と会ってから時々、塾の友達同士の集まりに行くようになった。

 その集まりには僕はたまにしか行かないので、「準レギュラー」ぐらいの位置にいる。だからかどうか、なんとなくアウェイ感がある。でもこのアウェイ感、考えてみれば小学校の頃にも感じていたんじゃないかと思い至った。

 小学校時代の自分を振り返れば、今ほど言いたい放題という感じではなかったと思う。いや、当時からそういう風に見る向きはもちろんあったが、自分自身が弱き者であるという認識があった。それは身体的なこともあるにはあったが、むしろ性格的なところが大きいかもしれない。

 幼稚園にさかのぼる。「ギンガマン」といういわゆる5人組の戦隊モノをやるという出し物をやることになった。で、子供がそれぞれの色に振り分けられる。その色がどうやって決まったのかは知らないが、とにかく「赤」を着ていたのはやはり「赤」っぽいヤツで、僕は「青」だった。まぁ自分は「青」だよなぁと思いつつ、正直「緑」よりはましだな、と思っていた。

 そこで「赤」を着るような子供がとにかく幅を利かすのが小学校社会である。赤の無双するなか、なんとか凌いでいくというのがそのほかの色の生き方だった。今になっても小学校の友達と会うと、その色のなかで生きていたことをどうしても思い出すのである。で、やはり、自分のふるまいもなぜか昔に少し戻ってしまう。それでも今のようにやろうと抗いつつね。

 ところでよくスクールカーストというが、中高に上がってからはあまりその色を意識しなくなった。もちろん赤を着ていたのが誰かというのははっきり分かっていたが、割とそっちはそっち、こっちはこっちという感じだったと思う。それでいろいろやりやすくなって、中学に上がったころから現在の自分の感じが出来上がったと思っている。

 大学に入ってからは、赤があまり見当たらない感じがする。赤はあまり建築学科には来ないんじゃないかな。ちなみにもちろんこれは男の話で、女は全員ピンクな。

 こんな感じでまぁ、今年もよろしくお願いします。今1年前の投稿をみたら、全く同じように「振り返ろうと思ったがだめだった」と書いてあった。成長ねぇな~。
 今年もブログを終わらせない。

2017年12月10日日曜日

ソウルナンバーに関する一考察

 あまりこだわらないようにしているが、やはり自分にとって都合のいいものは信じておきたいというのが占いである。星占いだの姓名判断だのさまざまあるが、そういうもので自分に関するものを、思い出したようにネットで調べてみることがある。

 そういえば、ソウルナンバーというのがあったな。と思って調べてみた。以前にも調べたことがあるが、自分のナンバーも覚えていない。

 ソウルナンバーというのは生年月日を分解して合計するという作業を一けたになるまで行ってできる数字のことである。例えば1970年9月27日(羽生善治永世7冠の誕生日)なら 1+9+7+0+9+2+7=35 ⇒3+5=8となる。
 私の場合は1+9+9+2+9+2+1=33で、6かと思いきや、11、22、33のぞろ目はマスターナンバーという特別な数字で、その時点で計算を終わりにして、ソウルナンバーとされるらしい。

 ほう、いいじゃない。 そんないい番号だという意識はなかった。ソウルナンバー33の特徴について読んでみる。


・全てにおいてスケールが大きい愛の人
・このタイプの人は自分自身のことには無頓着で、規格外に器が大きいと言われます。自分本位で物事を考えることがなく、世界や人類、宇宙といった非常に大きなスケールで物事を考えます。
・「他の人とは違う」と感じさせるカリスマ性もあります。
・潜在的に特殊な感覚を持ち合わせ、普通の人とは違う次元で物を見、捉えることができています。


 ま、まぁ、当たっちゃってるかな~!ばれちゃしょうがないな~。やっぱりそうだったのか~!

 こういうときは自分の周りの友人などで、誕生日を知っている人を思い浮かべてソウルナンバーを計算してみる。11。1。33。33。11。33。8。33。

ん?33多くないか?特別な番号なはずでは…。これはあやしい。こうも乱発されては、カリスマの価値が下がる。スーパーサイヤ人ではないのだ。
 
 よくよく考えてみれば、 同世代だと誕生年の合計が21か22と決まっているので、ある程度似通った番号になってしまうのではないだろうか?
そこで最近Excelの技を覚えつつある研究者の半熟卵である私はパソコンを立ち上げ、猛烈な計算を実行した!



計算完了!



 上に示すグラフは、1992年4月から1994年3月までのソウルナンバーの割合である。
33は。全体に占める割合は10%と確かにちょっと少ないほう。まわりに33がやけに多かったのは偶然だったようだ。だがそんなに希少価値は高くない!33にシェアを奪われた6のほうが少ないし、2と22に至ってはゼロである。ゼロ!そっちのほうがよっぽどではないか。
 ソウルナンバーが2になるためには数の合計が20のときのパターンしかないが、1992の時点でもう超えている。22についてもしかりである。

 とすると、この分布は年代によって変わってきそうだ。

 ここで1950年代生まれから、まだまだはるか先の2040年代生まれまでについて、ソウルナンバーの出現数を調べ上げた。ちなみにうるう年は省略。以下の表を見ていただきたい。



これは。非常に面白い結果が出た。なんとわがソウルナンバー、いや、マスターナンバー33は1990年代に出現のピークを迎え、その後2000年代と2010年代はまったく現れず、次に現れるのは2020年代も終盤の、2029年9月29日まで待たなくてはならない。
 一方、90年代では発生不可能だった「2」は生まれ年の数字の合計が小さくなる2000年以降には登場するようになって、まさに33と2の出現頻度が2000年を境に入れ替わっているようにも見える。
 そして1950年から2040年間の100年間の合計では、33が3.4%と出現頻度の最も少ない数字となっている。そして年を追うごとに、33の占める割合はさらに減っていくこととなる。これならばマスターナンバーを名乗ってもよいだろう。

 私たちは、これから減りゆくマスターナンバー33の称号を背負って、世界に無償の愛を配っていかなければなりませんね。

 意外とこういった試みはなかなか行われることはないと思うが、いかがだったろうか。