2017年12月10日日曜日

ソウルナンバーに関する一考察

 あまりこだわらないようにしているが、やはり自分にとって都合のいいものは信じておきたいというのが占いである。星占いだの姓名判断だのさまざまあるが、そういうもので自分に関するものを、思い出したようにネットで調べてみることがある。

 そういえば、ソウルナンバーというのがあったな。と思って調べてみた。以前にも調べたことがあるが、自分のナンバーも覚えていない。

 ソウルナンバーというのは生年月日を分解して合計するという作業を一けたになるまで行ってできる数字のことである。例えば1970年9月27日(羽生善治永世7冠の誕生日)なら 1+9+7+0+9+2+7=35 ⇒3+5=8となる。
 私の場合は1+9+9+2+9+2+1=33で、6かと思いきや、11、22、33のぞろ目はマスターナンバーという特別な数字で、その時点で計算を終わりにして、ソウルナンバーとされるらしい。

 ほう、いいじゃない。 そんないい番号だという意識はなかった。ソウルナンバー33の特徴について読んでみる。


・全てにおいてスケールが大きい愛の人
・このタイプの人は自分自身のことには無頓着で、規格外に器が大きいと言われます。自分本位で物事を考えることがなく、世界や人類、宇宙といった非常に大きなスケールで物事を考えます。
・「他の人とは違う」と感じさせるカリスマ性もあります。
・潜在的に特殊な感覚を持ち合わせ、普通の人とは違う次元で物を見、捉えることができています。


 ま、まぁ、当たっちゃってるかな~!ばれちゃしょうがないな~。やっぱりそうだったのか~!

 こういうときは自分の周りの友人などで、誕生日を知っている人を思い浮かべてソウルナンバーを計算してみる。11。1。33。33。11。33。8。33。

ん?33多くないか?特別な番号なはずでは…。これはあやしい。こうも乱発されては、カリスマの価値が下がる。スーパーサイヤ人ではないのだ。
 
 よくよく考えてみれば、 同世代だと誕生年の合計が21か22と決まっているので、ある程度似通った番号になってしまうのではないだろうか?
そこで最近Excelの技を覚えつつある研究者の半熟卵である私はパソコンを立ち上げ、猛烈な計算を実行した!



計算完了!



 上に示すグラフは、1992年4月から1994年3月までのソウルナンバーの割合である。
33は。全体に占める割合は10%と確かにちょっと少ないほう。まわりに33がやけに多かったのは偶然だったようだ。だがそんなに希少価値は高くない!33にシェアを奪われた6のほうが少ないし、2と22に至ってはゼロである。ゼロ!そっちのほうがよっぽどではないか。
 ソウルナンバーが2になるためには数の合計が20のときのパターンしかないが、1992の時点でもう超えている。22についてもしかりである。

 とすると、この分布は年代によって変わってきそうだ。

 ここで1950年代生まれから、まだまだはるか先の2040年代生まれまでについて、ソウルナンバーの出現数を調べ上げた。ちなみにうるう年は省略。以下の表を見ていただきたい。



これは。非常に面白い結果が出た。なんとわがソウルナンバー、いや、マスターナンバー33は1990年代に出現のピークを迎え、その後2000年代と2010年代はまったく現れず、次に現れるのは2020年代も終盤の、2029年9月29日まで待たなくてはならない。
 一方、90年代では発生不可能だった「2」は生まれ年の数字の合計が小さくなる2000年以降には登場するようになって、まさに33と2の出現頻度が2000年を境に入れ替わっているようにも見える。
 そして1950年から2040年間の100年間の合計では、33が3.4%と出現頻度の最も少ない数字となっている。そして年を追うごとに、33の占める割合はさらに減っていくこととなる。これならばマスターナンバーを名乗ってもよいだろう。

 私たちは、これから減りゆくマスターナンバー33の称号を背負って、世界に無償の愛を配っていかなければなりませんね。

 意外とこういった試みはなかなか行われることはないと思うが、いかがだったろうか。

2017年12月5日火曜日

生活のゲーミフィケーション

 最近の習慣に関する試みを紹介したい。

 とにかく習慣づけに関してわが人生は失敗ばかりを続けてきた。当ブログにおいても宣言しておきながら続いていないものがいくつもある。このブログを書き続けることに関してだけは、親愛なる読者諸賢の催促によってどうにか続いているところである。

 しかし習慣というものは侮りがたく、ものによっては人生を好転させもすれば破滅させるようなものであるというのは、あながち言い過ぎではないだろう。習慣を制する者は人生を制す、と思いついたので仰々しくも言ってみた。
 
 ちゃんと読んでいないので内容は知らないが、「7つの習慣」という自己啓発書の大ベストセラーもある。この本に限らないが、実行し、継続するのが一番難しく、読み終わったときにはやる気にあふれてもその気持ちを維持するのがとにかくとにかく難しい。

 そこで見つけたのが「自分ルール」というアプリである。これを知ったのは以下のツイートについていたリプライがきっかけだった。

 アプリの内容としては上記のツイートほぼそのままだ。これはいわゆる外発的動機付けをうまく取り入れた生活のゲーム化といえるものである。自分の場合は、生活行為「帰宅即コンタクトを外す」「日付変わる前に入浴」などに加え、読書、軽い筋トレなどを入れてみた。ご褒美のほうは「ツイッターを10分みる」とか「本を一冊買う」とか「自分磨き(隠語)をする」とかを比較的低めの点数に設定し、高い点数に高い買い物(1ポイント1円程度)を設定した。

 やってみるとこれがなかなか良い。まず、習慣づけの失敗の2大原因として「やるのを忘れる」「数日やらなかったことで気持ちが萎え終わる」というのがあるがこのアプリの場合この2点については解消される。前者は時間の空いた、することのないときにポイントの貯まるリストを見ることで思い出せる(しかもいくつも!同時に複数個の習慣づけをすることの難しさはみなさんも知っているだろう)。後者に関しては、このアプリの場合は「毎日欠かさない」ということが必ずしも重要ではないのでその点で萎えないし、さらに自分にとってハードルの高い習慣に関しては得られるポイントを高くすることでやりやすくなる。
 ご褒美のほうも重要だ。私はツイッターを見るのが好きだが、少々時間を費やしすぎてしまってしばしば後悔する。何度か禁ツイなんかも試みたときは、極端に「全く見ない」ことならできるのだが、「少しだけ見る」ということがどうしてもできなかった。しかしご褒美としてツイッターを設定すると際限なく時間を費やすことがないし、たっぷり見たいときはその分のポイントさえ使えば罪悪感を感じる必要もない。
 同じ10分を使うなら本を読んでポイントをためたほうがいいかな、と思うことも多く、時間の使い方が自分の理想に近づいている感じがある。まだ1週間程度しかやっていないので続くかわからないが、ちょっとおもしろいのでやってみてはいかが。

 ちなみにブログを1回投稿するのもちゃんと入れてある。これで150点が加算されます。

2017年11月24日金曜日

11月の雑記

 最近あったこと、思ったことを書く。

・スターウォーズの公開が近づいている。最近までは予告編をはじめ、出てくる情報はすべて得たいと思っていたが、初見のインパクトを考えると情報は入れない方が楽しいと思うので次からは情報をシャットアウトして臨もうと思う。

・荒れる相撲界。いろいろあるけど、ワイドショーはよくやるわね。そろそろ別のニュースが出てくる頃か。今九州場所がやってるが、自分でも驚くくらい相撲を見ていない。役者不足な感がある。それこそ貴ノ岩じゃないけど「もうあなた方の時代じゃない」と土俵の上で言える力士が出てこないと…

・海釣りにいった。船上で吸うたばこは旨そうだった。いずれは船を持つぞ。ところで私が入社する会社はなんと船をつくることもあるらしい。船大工はあこがれる。

・謎ときにはまっている。先週末に「謎検」を受けた結果、100点中86点で2級だった。ロザンの宇治原も同じくらいと聞いたのでまずまずの成績である。例えば下のような問題が出る。

せ こ で
き り ず  ⇒ 昨日
て も も

う の ち
と び す  ⇒ ?
ど あ す

?に当てはまるものは。
 これくらいだとそんなに難しくないので考えてみてほしい。これは「今夜はナゾトレ」というテレビ番組で出題されたものだが、全体的にちょうどいい難易度で作られていて楽しい。難しすぎてもつまらない、簡単すぎてもつまらないのだが謎検を主催する団体のSCRAPが作成する問題はどれもクオリティが高い。
 研究室で謎をやって、じゃあ次はMENSAか、という話になった。おそらくMENSAも対策を少しやれば受かるんじゃないかと思う。対策とかやっていいものなのかよくわからないけど。岡部も受かってるぐらいだし何とかなるだろう。だが取ってどうなる、というところもある。なんか恥ずかしい。MENSAに何ができるのか。たぶん俺が憧れるような頭のいい人たちは、MENSAに入る力があっても馬鹿にして入らないだろう。ただ実際受かるのかどうかは試してみたいものである。こっそりやるかもしれない

2017年11月2日木曜日

夢一夜

 いつものようにバイトを終えて帰ろうとすると、社員さんに呼び止められた。
「市島君、ちょっとシフトのことで相談なんだけど…4月の6日って入ってもらえる?」

 4月?
 
 カレンダーを見る。2018年4月のカレンダーである。パソコン。2018/04/01。
 何かおかしい。スマホを見ると、いくつかの着信とメールが届いていた。内定先からだ。
「どうしましたか?みんな待っています」

 もう4月になったのに間違えてバイト先に来てしまったのか?11月だと思っていたのに…。こんなことがあるのか?この5カ月間の記憶はない。

「すみません、ちょっと頭がくらくらして…失礼します」

トイレに駆け込んで鏡を見ると、めちゃめちゃ髪が伸びた自分がいた。俺の髪って、伸ばしたら案外くせ毛なんだな…。
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 友人に尋ねる。
「今ってまじで4月なの?11月からの記憶がない。」
「いや、ずっとお前ふつうにしてたよ。」
 周りから見ると普通に暮らしてきたようだ。髪を切ることだけは断固拒否していたらしい。しかし実感としては突然タイムスリップしたような感じだ。もしここが4月だとするとぜひ聞いておきたいことがある。
「あ…そういえば俺って卒業できたのかな?!」
「さぁ、できてないとは聞いてないけど…」
 はっきりしろよ!使えない未来人め。だいたいお前は誰なんだ。

「じゃあ11月以降で急にブレイクした芸人とかいる?」
「あぁ~。う~ん。にゃんこスターとか?」
「それはもうちょっと前からだわ。他には?」
「あと…ジーナルドフィールドとか。」
「おぉ、聞いたことない!その名前は覚えておこう!ジーナルドフィールドね。」
「あと有名人で死んだ人いる?」
「キネンキナ先生…」
「え?知念里奈?」
「いや、キネンキナ先生だよ。お茶の家元の…」
「誰なんだよ!」

 誰なんだよ!

 ………

 ………

 終わりでーす。(三四郎風に)
 起きてすぐメモったが、ジーナルドフィールドは検索しても出てこなかった。どこから生まれた単語なんだ。

2017年10月18日水曜日

10-18

 10日ぐらい前にtumblrをはじめてみて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、今度は急に飽きてしまった。ありそうなことだ。

 最近麻雀に初めて触れた。研究室の人とよくわからないままに少しやって、そのあとアプリをダウンロードした。そしたら夜から朝まで9時間ほどやってしまって、一人徹マンといった様相を呈することになった。やっているうちに、わからないなりに勝てたりするようになった。ゲームならではのヒント機能に頼りまくりではあるが。かねてから興味のある将棋のほうではコンピュータにさえ一回も勝ったことがないので、この時点で私の麻雀力は棋力を上回ってしまった計算になる。
 
 それがおとといの晩で、そのあとは昼まで寝て過ごしたが、そうしたら昨日の晩も寝れなくなり、今度はもういっそ起きていようと決めて、今日は眠い中過ごしたが、特に用事もなかったので、さっきまでうっかり寝てしまった。こういう昼夜逆転みたいなことには抵抗がある。規則正しく過ごしたい。明日は初めてのオートマチックトランスミッション車の教習があるので、今日はちゃんと寝なくてはいけない。

2017年10月6日金曜日

10月6日の投稿

 イレギュラーな投稿をしてしまったがために、結局1週間ほど遅れてしまった。意外と2週間に一回というリズムが体に浸み込んでいるかもしれない。いずれは1週間に1回のペースにしたいと思っているのだが。

 今住んでいる家から駅までのルートは2通りある。大通りを通るルートと、住宅街の間を縫っていくルートだ。この家に住んでから半年くらいずっと同じ大通りルートを通っていたが、住宅街ルートを見つけてからはどちらかというと後者をよく使うようになった。厳密にいえばこの住宅街ルートは昔、家族で今の祖父母の家に行くときに、(普段は車で来るところを)たまに電車でくるときに使っていたのだが、大通りと比べて目印がはっきりしないため、方向音痴な私は一人で来るときは簡単な大通りばかりを歩いていたのだった。

 取り立てて語るようなこともない道だが、この前いつものように歩くときに、まわりの景色に注意を凝らしながら歩いてみると、意外と見ているつもりで見ていないということに気が付いた。
 僕の通る道はとにかく電柱が多い。しかし電柱ひとつとっても、それぞれに違うものである。上の方になんか機械がついているもの、電灯を兼ねているもの、上が細くなっているもの、登るための足場がついているもの、いないもの、少し曲がっているもの、車ガードのような鉄板が巻かれているもの、などなど。学部1年か2年ぐらいのときに学科の課題で電柱を描いてくる学生がいたが、今になってなるほど確かに電柱道奥深しと思うわけである。
 毎日歩いている道でも意識しないと見逃していることばかりである。見ようとしないと見えないというのは当たり前のようであるが、実際には見たつもりになっているということが多いのではないか。絵の上手い人や、フィクションを書ける人というのは、同じ世界の中にいても見ているものが違うのだろう。しかし昨今じゃどこにいてもスマホばかりでまわりをじっくり見ている人などいない。上を向いて歩いて、突き抜けましょう。 

2017年9月25日月曜日

うまいものが食いたい!

 
 数日前から体調を崩しまして、なにかってえと食あたりであります。日本に居ながらにしてこんなことあんのかよ、Damn it!と何度ぼやいたかわからないが、原因ははっきりしている。生肉だ。

 体調の異変は時間差で来るので、原因が特定できないことが多く、今回に関しても疑いでしかなかった。だがその生肉を食べた居酒屋で同席した人が腹痛になったと聞いたので、これはもう間違いがないということである。

 過去の経験からして、この手の異変は医者から処方された薬を飲めばわりとすぐに治る。ところがどっこい、こういうときは医者に行く気力が湧かないんですねえ。悲しいことに。

 そんなわけなので自力で直そうとレッツトライ絶食アゲイン。

 この2年くらいで何度かやっているが正直上手くいったためしがなく、結局は薬に頼るのがオチなのだが、少なくとも絶食中はゲリベンが出ないのでそれはそれでいいという面がある。しかしこれも何回かやっていると慣れてくるもんである。普段の生活だと定期的な食事が遅れるだけでだいぶ空腹を感じるが、ある一点を超えると、そこからは案外耐えられる。おそらく、体がエネルギーを求める由来が、胃や腸で消化したものから、体自身に蓄えているものへ切り替わっているとか、そういう感じなのだろう。あぁまたこの感覚だナ、久しぶり、と無意味にベテラン風情もある。

 そうはいっても腹は減る。「飯テロ」という言葉があるが、普段はあまり動じない僕も、絶食中の身にうまいものの画像は目の毒である。なのにあえて見ちゃったりして、「これは精神修行だ…」と言い聞かせたり。

 こうして普段あまり私が気を払わない「食」に思いを馳せていると、やはり食べるということは大事にしたい!とシンプルな一つの結論に至った。

 混沌としたこの世の中で、価値観も人それぞれ、そもそも自分が何をしたいのかわからない…ということは常に身につきまといます。そんななか、原点に立ち返ってみれば、動物としての自分が求めるのは、うまい飯を食い、あったかい布団でぐーぐー寝る、まぁあとはいい女、とりあえずそこでしょうと。

 「食べること」に対する苦手意識もあってか、いままで食をないがしろにしてきた自分だが、もっと大事にすべきではないだろうかと。いうことに気づくわけです。食から逃げてきたのではないかと。偏食な私でも、うまいものはやっぱりうまい。これは間違いないのですから…。

 そうすると今まで飲み会でウーロン茶数杯と適当なつまみで3000円いくら出していたのも今更のようにばかばかしくなってきた。普通に料理に力を入れている店だったら3000円でだいぶいいものが食えるよ。1500円のちょっといいパスタも2回食えるよ。

 そして「誕生日になにか欲しいものある?」とお母さんに聞かれた僕は「旨い海苔をくれ」と答えるに至った。

 飯が上手い店に行こうよ。あなた、そしてキミの一番のお店を教えておくれ。こちらも一軒だけ持ってます。