2017年11月24日金曜日

11月の雑記

 最近あったこと、思ったことを書く。

・スターウォーズの公開が近づいている。最近までは予告編をはじめ、出てくる情報はすべて得たいと思っていたが、初見のインパクトを考えると情報は入れない方が楽しいと思うので次からは情報をシャットアウトして臨もうと思う。

・荒れる相撲界。いろいろあるけど、ワイドショーはよくやるわね。そろそろ別のニュースが出てくる頃か。今九州場所がやってるが、自分でも驚くくらい相撲を見ていない。役者不足な感がある。それこそ貴ノ岩じゃないけど「もうあなた方の時代じゃない」と土俵の上で言える力士が出てこないと…

・海釣りにいった。船上で吸うたばこは旨そうだった。いずれは船を持つぞ。ところで私が入社する会社はなんと船をつくることもあるらしい。船大工はあこがれる。

・謎ときにはまっている。先週末に「謎検」を受けた結果、100点中86点で2級だった。ロザンの宇治原も同じくらいと聞いたのでまずまずの成績である。例えば下のような問題が出る。

せ こ で
き り ず  ⇒ 昨日
て も も

う の ち
と び す  ⇒ ?
ど あ す

?に当てはまるものは。
 これくらいだとそんなに難しくないので考えてみてほしい。これは「今夜はナゾトレ」というテレビ番組で出題されたものだが、全体的にちょうどいい難易度で作られていて楽しい。難しすぎてもつまらない、簡単すぎてもつまらないのだが謎検を主催する団体のSCRAPが作成する問題はどれもクオリティが高い。
 研究室で謎をやって、じゃあ次はMENSAか、という話になった。おそらくMENSAも対策を少しやれば受かるんじゃないかと思う。対策とかやっていいものなのかよくわからないけど。岡部も受かってるぐらいだし何とかなるだろう。だが取ってどうなる、というところもある。なんか恥ずかしい。MENSAに何ができるのか。たぶん俺が憧れるような頭のいい人たちは、MENSAに入る力があっても馬鹿にして入らないだろう。ただ実際受かるのかどうかは試してみたいものである。こっそりやるかもしれない

2017年11月2日木曜日

夢一夜

 いつものようにバイトを終えて帰ろうとすると、社員さんに呼び止められた。
「市島君、ちょっとシフトのことで相談なんだけど…4月の6日って入ってもらえる?」

 4月?
 
 カレンダーを見る。2018年4月のカレンダーである。パソコン。2018/04/01。
 何かおかしい。スマホを見ると、いくつかの着信とメールが届いていた。内定先からだ。
「どうしましたか?みんな待っています」

 もう4月になったのに間違えてバイト先に来てしまったのか?11月だと思っていたのに…。こんなことがあるのか?この5カ月間の記憶はない。

「すみません、ちょっと頭がくらくらして…失礼します」

トイレに駆け込んで鏡を見ると、めちゃめちゃ髪が伸びた自分がいた。俺の髪って、伸ばしたら案外くせ毛なんだな…。
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 友人に尋ねる。
「今ってまじで4月なの?11月からの記憶がない。」
「いや、ずっとお前ふつうにしてたよ。」
 周りから見ると普通に暮らしてきたようだ。髪を切ることだけは断固拒否していたらしい。しかし実感としては突然タイムスリップしたような感じだ。もしここが4月だとするとぜひ聞いておきたいことがある。
「あ…そういえば俺って卒業できたのかな?!」
「さぁ、できてないとは聞いてないけど…」
 はっきりしろよ!使えない未来人め。だいたいお前は誰なんだ。

「じゃあ11月以降で急にブレイクした芸人とかいる?」
「あぁ~。う~ん。にゃんこスターとか?」
「それはもうちょっと前からだわ。他には?」
「あと…ジーナルドフィールドとか。」
「おぉ、聞いたことない!その名前は覚えておこう!ジーナルドフィールドね。」
「あと有名人で死んだ人いる?」
「キネンキナ先生…」
「え?知念里奈?」
「いや、キネンキナ先生だよ。お茶の家元の…」
「誰なんだよ!」

 誰なんだよ!

 ………

 ………

 終わりでーす。(三四郎風に)
 起きてすぐメモったが、ジーナルドフィールドは検索しても出てこなかった。どこから生まれた単語なんだ。

2017年10月18日水曜日

10-18

 10日ぐらい前にtumblrをはじめてみて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、今度は急に飽きてしまった。ありそうなことだ。

 最近麻雀に初めて触れた。研究室の人とよくわからないままに少しやって、そのあとアプリをダウンロードした。そしたら夜から朝まで9時間ほどやってしまって、一人徹マンといった様相を呈することになった。やっているうちに、わからないなりに勝てたりするようになった。ゲームならではのヒント機能に頼りまくりではあるが。かねてから興味のある将棋のほうではコンピュータにさえ一回も勝ったことがないので、この時点で私の麻雀力は棋力を上回ってしまった計算になる。
 
 それがおとといの晩で、そのあとは昼まで寝て過ごしたが、そうしたら昨日の晩も寝れなくなり、今度はもういっそ起きていようと決めて、今日は眠い中過ごしたが、特に用事もなかったので、さっきまでうっかり寝てしまった。こういう昼夜逆転みたいなことには抵抗がある。規則正しく過ごしたい。明日は初めてのオートマチックトランスミッション車の教習があるので、今日はちゃんと寝なくてはいけない。

2017年10月6日金曜日

10月6日の投稿

 イレギュラーな投稿をしてしまったがために、結局1週間ほど遅れてしまった。意外と2週間に一回というリズムが体に浸み込んでいるかもしれない。いずれは1週間に1回のペースにしたいと思っているのだが。

 今住んでいる家から駅までのルートは2通りある。大通りを通るルートと、住宅街の間を縫っていくルートだ。この家に住んでから半年くらいずっと同じ大通りルートを通っていたが、住宅街ルートを見つけてからはどちらかというと後者をよく使うようになった。厳密にいえばこの住宅街ルートは昔、家族で今の祖父母の家に行くときに、(普段は車で来るところを)たまに電車でくるときに使っていたのだが、大通りと比べて目印がはっきりしないため、方向音痴な私は一人で来るときは簡単な大通りばかりを歩いていたのだった。

 取り立てて語るようなこともない道だが、この前いつものように歩くときに、まわりの景色に注意を凝らしながら歩いてみると、意外と見ているつもりで見ていないということに気が付いた。
 僕の通る道はとにかく電柱が多い。しかし電柱ひとつとっても、それぞれに違うものである。上の方になんか機械がついているもの、電灯を兼ねているもの、上が細くなっているもの、登るための足場がついているもの、いないもの、少し曲がっているもの、車ガードのような鉄板が巻かれているもの、などなど。学部1年か2年ぐらいのときに学科の課題で電柱を描いてくる学生がいたが、今になってなるほど確かに電柱道奥深しと思うわけである。
 毎日歩いている道でも意識しないと見逃していることばかりである。見ようとしないと見えないというのは当たり前のようであるが、実際には見たつもりになっているということが多いのではないか。絵の上手い人や、フィクションを書ける人というのは、同じ世界の中にいても見ているものが違うのだろう。しかし昨今じゃどこにいてもスマホばかりでまわりをじっくり見ている人などいない。上を向いて歩いて、突き抜けましょう。 

2017年9月25日月曜日

うまいものが食いたい!

 
 数日前から体調を崩しまして、なにかってえと食あたりであります。日本に居ながらにしてこんなことあんのかよ、Damn it!と何度ぼやいたかわからないが、原因ははっきりしている。生肉だ。

 体調の異変は時間差で来るので、原因が特定できないことが多く、今回に関しても疑いでしかなかった。だがその生肉を食べた居酒屋で同席した人が腹痛になったと聞いたので、これはもう間違いがないということである。

 過去の経験からして、この手の異変は医者から処方された薬を飲めばわりとすぐに治る。ところがどっこい、こういうときは医者に行く気力が湧かないんですねえ。悲しいことに。

 そんなわけなので自力で直そうとレッツトライ絶食アゲイン。

 この2年くらいで何度かやっているが正直上手くいったためしがなく、結局は薬に頼るのがオチなのだが、少なくとも絶食中はゲリベンが出ないのでそれはそれでいいという面がある。しかしこれも何回かやっていると慣れてくるもんである。普段の生活だと定期的な食事が遅れるだけでだいぶ空腹を感じるが、ある一点を超えると、そこからは案外耐えられる。おそらく、体がエネルギーを求める由来が、胃や腸で消化したものから、体自身に蓄えているものへ切り替わっているとか、そういう感じなのだろう。あぁまたこの感覚だナ、久しぶり、と無意味にベテラン風情もある。

 そうはいっても腹は減る。「飯テロ」という言葉があるが、普段はあまり動じない僕も、絶食中の身にうまいものの画像は目の毒である。なのにあえて見ちゃったりして、「これは精神修行だ…」と言い聞かせたり。

 こうして普段あまり私が気を払わない「食」に思いを馳せていると、やはり食べるということは大事にしたい!とシンプルな一つの結論に至った。

 混沌としたこの世の中で、価値観も人それぞれ、そもそも自分が何をしたいのかわからない…ということは常に身につきまといます。そんななか、原点に立ち返ってみれば、動物としての自分が求めるのは、うまい飯を食い、あったかい布団でぐーぐー寝る、まぁあとはいい女、とりあえずそこでしょうと。

 「食べること」に対する苦手意識もあってか、いままで食をないがしろにしてきた自分だが、もっと大事にすべきではないだろうかと。いうことに気づくわけです。食から逃げてきたのではないかと。偏食な私でも、うまいものはやっぱりうまい。これは間違いないのですから…。

 そうすると今まで飲み会でウーロン茶数杯と適当なつまみで3000円いくら出していたのも今更のようにばかばかしくなってきた。普通に料理に力を入れている店だったら3000円でだいぶいいものが食えるよ。1500円のちょっといいパスタも2回食えるよ。

 そして「誕生日になにか欲しいものある?」とお母さんに聞かれた僕は「旨い海苔をくれ」と答えるに至った。

 飯が上手い店に行こうよ。あなた、そしてキミの一番のお店を教えておくれ。こちらも一軒だけ持ってます。

2017年9月19日火曜日

年末がちらりと見えてきた

 更新が遅れてしまってどうもすみません。
 9月も半ばを過ぎました。私の誕生日は9月21日。年末まで残り101日という日らしい。
どうせなら残り100日のほうがキリが良かったが、101も101匹ワンちゃんなどに引用された由緒正しい数字なので文句は言うまい。

 9月というと、まだ夏を引きずっているという感じだ。しかし10月となるといよいよ今年も残り三カ月、ということで年末を少しずつ意識し始める。私の誕生日はちょうどその間の時期。

 以前にも書いたかなと思うが私の2017年の目標は3つあった。「就職を決めること」「国際学会で発表すること」そして「皆既日食を見ること」である。これらは8月21日をもってすべて達成されてしまった。ということで今年の残りを有意義に過ごすべく、2017年のエクストラ目標として、「毎日四股を100回踏む」「毎日開脚ストレッチをする」ことを掲げる。

 これらの目標は2017年の3大目標と異なる。3大目標が単発で達成するタイプの目標であるのに対して、エクストラ目標は継続すること自体が目標になっているのである。

 後付けではあるがこの違いは案外合理的である。まず3大目標の設定にあたってはやや低めのハードルを設定した。「達成できると思われるが、達成できない可能性もあるし、達成しないわけにはいかない」こういうラインである。結果的にうまくいった。一方、エクストラ目標はやや高めである。「100日くらいならぎりぎりできるかもしれない」そういうラインだ。1年の初めに継続目標を立てたってできるわけがないだろう。人間心理としては終わりが見えていると頑張れるということもある。それがちょうどこの時期というわけです。

 年末に向けたラストスパート感はなんだか好きで、「今年のうちにこれやっとこう」ということをできるのが一年の中で唯一できるのがその時期だ。去年も漫画や映画など、いろいろ見ないままにしておいたものをそこで消化した。消化するという感じになってしまうのがやや良くないところだが。本来まだ年末には早いが、おそらく12月はさすがに修論で余裕がないかもしれないので11月くらいを年末と思って早めにリストを挙げておくことにしよう。

〇本
・ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環
・利己的な遺伝子
・塑する思考
・大山康晴の晩節
・麻雀放浪記

〇映画
・イエスマン
・LIFE!
・日本のいちばん長い日
・ゴッドファーザー2
・アマデウス

〇まんが
・AKIRA
・幽遊白書
・からくりサーカス

 これらをすべて成仏させれば、2017年に悔いなしといったところでしょう。

 ところでついでに2018年の3大目標を考えてみた。「修論を書いて卒業する」「会社をやめない」「彼女と別れない」こちらはある意味継続系ですけど。ラインとしてはちょうどいいはず。

2017年9月2日土曜日

8月33日

 本多君のブログをみていると、けっこう私が書きそうなことを書くのでゴーストライターをやってもらってもいいんじゃないかという気になってきた。
 前回の投稿からわずか半月の間に、アメリカへ行き、関西に行き、河口湖へ行き、正直詰め込みすぎという感じで、もったいない。しかしほとんど何もしない2週間もあるので、それを考えれば良かった。
 ところで僕は比較的旅行によく行く方かなと思うが、旅行が好きかというとふつうである。旅行は誰かと行くことが多いので、退屈しないというのはいい点だ。だが、時間ができたら即旅行という人がいる中で、私は人に誘われたら、というのが多い。今回の皆既日食に関しては例外で、珍しく私の強い願望が表に出た、ということになる。
 私が春から就くことになる仕事はなかなか忙しそうなので、当然、今までのように自由に旅行に行くというのはできなくなる。(なんの仕事についても、忙しくない大学院生より暇なわけがないけど)来年以降、ぼくは「学生時代に、もっと旅行に行っておけばよかった…」と思うだろうか?

 一般的に、旅は人間を成長させるものとして推奨される傾向にある。海外のいろんな国に行った人の話とかを聞くと、自分も成長したい節があるので、例えばソロ海外旅行とかしたほうがいいかなと思うこともある。しかしその度に、旅行したからって偉くなるわけじゃねえやい。と逆側からの声も聞こえる。こういうとき僕はいつも、尊敬する先人たちを思い浮かべる…。
 これは非常に勇気づけられる事実だが、世の中、事を成している人ほど忙しいものである。羽生善治先生の本を見ても、タイトル戦を戦うようになってからは旅行はいけなくなったとおっしゃっている。力士も、人によっては正月も元日しか休まないという。しかし、そういう人たちはむしろ私にとってはあこがれの存在である、求道者である。私と同い年の宇良関はこう言う。相撲界に入ってから暇だと感じたことは一度もなかったと。
 
 旅行どうこうに限らず、何かを考えるときに、ぼくは相撲や将棋の世界を引き合いに出すことが多い。世の中いろんな世界(業界)があるが、相撲や将棋の世界は一般からするとかなり特異である。しかしそれゆえに、安心する部分もある。僕たち凡人は、世の中の調子というのについ自分の心を無意識に合わせようとして疲れてしまうじゃないですか。そういうときに、いや、俺の尊敬する人たちは、こういう調子に合わせて生きてはいないぞ、というね。こういう考え方は結構ひんぱんにするんだけど、みなさんはどうですか?