メモ帳を漁っていたら、相撲雑誌に投稿しようと思って正月に書き、結局送らなかった文章が残っていたのでここに載せることにする。
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再認識した相撲の魅力
最近は「土俵外」のニュースばかりで疲れていた。そんな大晦日に、「朝青龍を押し出したら1000万円」という、8人の力自慢が元横綱朝青龍に次々に挑むという企画のネット番組が放送された。こういう気楽なのもいいな、と軽い気持ちで見ることにした。
格闘家のボブ・サップさんや、五輪銀メダルの泉浩さんなど、個性的な挑戦者たちが元横綱に挑んで行った。それなりに面白かったが、残念ながら勝負というほどのものではなかった。
最後に登場したのが、力を残して引退した元大関の琴光喜。そこで朝青龍はそれまで着けていた稽古まわしから、現役時代と同じ黒の締め込みに変えた。
それから空気が明らかに変わった。一つ一つの所作を噛みしめるように丁寧に行う2人。これが本当の相撲だというのを見せてやろう、と確かめ合っているようであった。
勝負は元横綱に軍配があがったが、2人の相撲ぶりは現役時代を彷彿とさせる、それまでの「試合」とは全く違う美しさがあった。相撲は1人では取れず、2人の力士がいて初めて相撲になるんだと、そんなことを思った。
予想外のところで、忘れかけていた相撲の魅力を思い出させてもらった気がした。横綱、大関、ありがとうございました。
2018年1月28日日曜日
2018年1月24日水曜日
2018年1月6日土曜日
新年あけまして。
2018年を迎えました。本当は大晦日に2017年を振り返る投稿をしようと思っていたが、「朝青龍を押し出したら1000万」を見ていたらあっという間に年をまたぐこととなり、それからまたあっという間に3が日も超え、気づけば5日。あっという間、あっという間の連続で参ってしまいます。さすがにもう2017年を総括する気にもならない。
年末・年始はだらけにだらけ、もちろんその前後は修論に追われて、非思索的な毎日を送るばかりである。あまり刺激的なこともなかったが、地元で新年会があった。
去年の一年を除けば僕は生まれて以来ずっと地元からでていないが、中学校受験をしたので地元の友達とはあまり縁がない。それが2年くらい前にたまたま昔の塾の友達と会ってから時々、塾の友達同士の集まりに行くようになった。
その集まりには僕はたまにしか行かないので、「準レギュラー」ぐらいの位置にいる。だからかどうか、なんとなくアウェイ感がある。でもこのアウェイ感、考えてみれば小学校の頃にも感じていたんじゃないかと思い至った。
小学校時代の自分を振り返れば、今ほど言いたい放題という感じではなかったと思う。いや、当時からそういう風に見る向きはもちろんあったが、自分自身が弱き者であるという認識があった。それは身体的なこともあるにはあったが、むしろ性格的なところが大きいかもしれない。
幼稚園にさかのぼる。「ギンガマン」といういわゆる5人組の戦隊モノをやるという出し物をやることになった。で、子供がそれぞれの色に振り分けられる。その色がどうやって決まったのかは知らないが、とにかく「赤」を着ていたのはやはり「赤」っぽいヤツで、僕は「青」だった。まぁ自分は「青」だよなぁと思いつつ、正直「緑」よりはましだな、と思っていた。
そこで「赤」を着るような子供がとにかく幅を利かすのが小学校社会である。赤の無双するなか、なんとか凌いでいくというのがそのほかの色の生き方だった。今になっても小学校の友達と会うと、その色のなかで生きていたことをどうしても思い出すのである。で、やはり、自分のふるまいもなぜか昔に少し戻ってしまう。それでも今のようにやろうと抗いつつね。
ところでよくスクールカーストというが、中高に上がってからはあまりその色を意識しなくなった。もちろん赤を着ていたのが誰かというのははっきり分かっていたが、割とそっちはそっち、こっちはこっちという感じだったと思う。それでいろいろやりやすくなって、中学に上がったころから現在の自分の感じが出来上がったと思っている。
大学に入ってからは、赤があまり見当たらない感じがする。赤はあまり建築学科には来ないんじゃないかな。ちなみにもちろんこれは男の話で、女は全員ピンクな。
こんな感じでまぁ、今年もよろしくお願いします。今1年前の投稿をみたら、全く同じように「振り返ろうと思ったがだめだった」と書いてあった。成長ねぇな~。
今年もブログを終わらせない。
年末・年始はだらけにだらけ、もちろんその前後は修論に追われて、非思索的な毎日を送るばかりである。あまり刺激的なこともなかったが、地元で新年会があった。
去年の一年を除けば僕は生まれて以来ずっと地元からでていないが、中学校受験をしたので地元の友達とはあまり縁がない。それが2年くらい前にたまたま昔の塾の友達と会ってから時々、塾の友達同士の集まりに行くようになった。
その集まりには僕はたまにしか行かないので、「準レギュラー」ぐらいの位置にいる。だからかどうか、なんとなくアウェイ感がある。でもこのアウェイ感、考えてみれば小学校の頃にも感じていたんじゃないかと思い至った。
小学校時代の自分を振り返れば、今ほど言いたい放題という感じではなかったと思う。いや、当時からそういう風に見る向きはもちろんあったが、自分自身が弱き者であるという認識があった。それは身体的なこともあるにはあったが、むしろ性格的なところが大きいかもしれない。
幼稚園にさかのぼる。「ギンガマン」といういわゆる5人組の戦隊モノをやるという出し物をやることになった。で、子供がそれぞれの色に振り分けられる。その色がどうやって決まったのかは知らないが、とにかく「赤」を着ていたのはやはり「赤」っぽいヤツで、僕は「青」だった。まぁ自分は「青」だよなぁと思いつつ、正直「緑」よりはましだな、と思っていた。
そこで「赤」を着るような子供がとにかく幅を利かすのが小学校社会である。赤の無双するなか、なんとか凌いでいくというのがそのほかの色の生き方だった。今になっても小学校の友達と会うと、その色のなかで生きていたことをどうしても思い出すのである。で、やはり、自分のふるまいもなぜか昔に少し戻ってしまう。それでも今のようにやろうと抗いつつね。
ところでよくスクールカーストというが、中高に上がってからはあまりその色を意識しなくなった。もちろん赤を着ていたのが誰かというのははっきり分かっていたが、割とそっちはそっち、こっちはこっちという感じだったと思う。それでいろいろやりやすくなって、中学に上がったころから現在の自分の感じが出来上がったと思っている。
大学に入ってからは、赤があまり見当たらない感じがする。赤はあまり建築学科には来ないんじゃないかな。ちなみにもちろんこれは男の話で、女は全員ピンクな。
こんな感じでまぁ、今年もよろしくお願いします。今1年前の投稿をみたら、全く同じように「振り返ろうと思ったがだめだった」と書いてあった。成長ねぇな~。
今年もブログを終わらせない。
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